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2008年 09月 26日 ( 1 )

体感中国語89―何かを済ませる“把”構文

中国語の語順については体感77などで「だれかが/なにかが、いつ・どこで、どのように、どうする、(こんなふうに)何かを」というふうになると何回か述べました。

これをさらに修飾的部分を省いた文の骨格だけで示すと、「だれかが/なにかが、どうする、何かを」となることでしょう。つまり、「S+V+O」です。英語の場合は補語も骨格に入っていますが、中国語のは述語のに含めることにします。ついでに日本語の骨格についても触れておくと、日本語は「S+V」です。は連用修飾語の一部で、お飾り部分です。


ところで、「S+V+O」を基本構造とする中国語の中で、「S+把O+V」となる文があります。目的語のを“”という取っ手で無理にの前に持ってきた構文です。ふつう“把”構文と呼ばれています。なお、このは“”によっての前にもってこられたので、中国語の文法成分は配置によって決まりますから、もう目的語ではなく、「把O」という介詞構文の状語(連用修飾語)です。


さて、このように本来は(述部)の後でいうべき(目的語=賓語)を中国人はどういうときに前に持ってきたくなるのでしょうか。「だれかが/なにかが、どうする何かを」という構文をわざわざこわして、「だれかが/なにかが、何かをどうする」とどういうときにわざわざいいたくなるのでしょうか。


それは「だれかが、何かを、どのように すませる/すませた/すませたよう/すませろ」と思うときなのです。

この文の主語は「なにか」という無生物ではなく「だれか」という意志ををもつものでなくてはいけません。いや、自然にそうなるのです。その「だれかが、何かを、どのように済ませる、つまり処置する」と考えたり、感じたりしたときに、中国語では“把”構文を用いて表現する、そのように私は理解したのです。この構文を処置文とも呼ばれているとたいていの文法書に書いてはいますが、もう少し表現者の心理に即した解説がほしい、そんなふうにも感じています。


例えば、今のあなたは中国語をきちんとマスターしたいと思っているとします。その気持ちをもう少し別の言葉で言い換えますと、、「私は中国語が自分のものになるようあらゆる処置を講じたい」ということでしょう。そのような気持ちを中国語で表現しようと思うとき、“把”構文を使えばいいのです。こんなふうにです。

  我把汉语学好。

我学好汉语。」なら、「私は中国語をマスターした」ともとられてしまいます。ここは倒置の表現を使うことで「中国語」が強調され、「私は中国語というものどうしたいのか、マスターしたいのだ」という意味になる、そのように理解されるのです。

この“把”構文の述部は「どのように済ませる」、「こんなふうに処置する」という内容になるのですから、「何かを処置できる」述語でなくてはなりません。当然他動詞が原則で、自然に能動文になります。

また、「どのように」ということは「このような結果になるように」とう意味でもありますから、結果を示す語が当然の後に表れるはずです。つまり、「学好」の「」がそれです。したがって、“把”構文の述部は裸のではなく、必ず付加的要素、結果補語数量補語完了のアスペクト助詞などが付いています。また処理すべき「何か」も当然未知のものではなく、これも自然と具体的な事物になるはずです。


≪追記≫
「他動詞が原則」と書きましたが、形容詞の場合もありました。

例  把我累死了。(とっても疲れちゃった。)

これはどう理解したらいいのでしょうか。一応次のように理解しました。
「(だれかが/何かが)この私を死にそうなくらい疲れる状態に処置した。」

さて、「主語は無生物ではなく意志ををもつものでなくてはいけません」と書いたのでしたが、ここは訂正すべきでしょうか。
by damao36 | 2008-09-26 07:50 | 中国語 | Comments(0)