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慎太郎の日本民族雑種論

今月初め、自民党元幹事長の中川秀直さんが会長を務める「外国人材交流推進議員連盟」という会が、わが国の人口減少対策として、国力を伸ばすには、移民を大幅に受け入れる必要があるとして、「日本の総人口の10%(約1000万人)を移民が占める『多民族共生国家』を今後50年間で目指す」と明記した提案を福田首相にしたとのことです。
http://jp.youtube.com/watch?v=sHJSJWtvHvEYou Tube自民党幹事長中川秀直は移民推進派)


日本在住外国人の問題というと、外国人の地方参政権を認めるかどうかということが課題に上っているようです。どうも公明党や野党は賛成で、“ミギ”の人たちでしょうか、ネットで見ると、“在日”の問題とからんで、「とんでもない」と猛反対する意見も目立ちます。

私は“在日”という単語が、主として在日韓国人・朝鮮人を指しているということは知らずに、ネットでは嫌韓・嫌中論を説く人が、「あの人は在日で、本名は○○○」などという書き込みをみて、いささか反発を感じ、<「在日」がいるから日本はおもしろい?2006.8>という一文をかつて書いたのでした。
http://lailai-hanyu.at.webry.info/200608/article_20.html


ですから、1000万人移民受け入れの話を聞いたとき、しかも保守政治家がそのような提案をされたと聞いたとき、とても不可解で、とくに支持者の“ミギ”の人たちからは猛反発をくらうであろうと思ったのでした。


また一方、“ミギ”のオピニオン・リーダーである東京都知事の石原慎太郎さんが「日本よ 新しい移民法を」という一文を産経新聞に寄せていたのを思い出し(3月21日付)、東アジアの人たちを侮蔑するような発言が多いという印象の石原さんが、どうしてあのようなことをかかれたのか、不思議に思ったことを思い出しました。そこには以下のようなことが書かれていました。
「日本の国民が単一民族から成っているなどというのは基本的に間違った歴史認識で、我々の民族的ルーツは実は東西南北あちこちにあるのだ。日本の国は、……多くはシナ大陸や朝鮮半島から渡来した。昔の皇室の一部もそうだ」

そのとっても開明的なご意見に触発されて、私はすぐに「石原慎太郎と移民受け入れ」という一文を書きました。
http://lailai-hanyu.at.webry.info/200806/article_6.html

ところで、この慎太郎さんの“日本民族雑種論”は“ミギ”のオピニオン・リーダーとしては特異なご意見なのかと思っていたのでしたが、どうもそうではなく、戦前の戦争指導者たちもまたそのような“日本民族雑種論”で、そうしたお考えだったからこそ、台湾人や朝鮮人を日本人にしようと本気で考え、創氏改名とか皇居遥拝とかを強制する皇民化政策を推しすすめることができたのだということを、調べてみてわかりました。

そうだとすると、いまの“ミギ”の人たちがシナ人やセン人とは未来永劫つきあえないと思っているのは、正統派の考えとは違っているのではないでしょうか。


正統派の考えとは、いわゆる「国体論」のことですが、以下に「国体論」の代表者である2人の学者の国家と民族についての考えを挙げておきます。

まず、東京帝国大学法科大学長で、貴族院議員の穂積八束 (1860~1912年)ですが、彼はは、以下のように述べています。
「一国ハ必シモ限定セラレタル一個ノ民族ヲ以テ成ルト謂フニ非ス。……大民族ハ能ク異種ノ人ヲ混シ其ノ子孫ヲ同化シ其ノ民族範囲ヲ愈々大ナラシムルコトアルナリ」

この穂積説を受け継いだのが、岸信介元首相が師と仰いだ同じく東京帝大の憲法学者上杉慎吉(1878~ 1929)です。
「(民族構成は)人種の同一に非ず、言語の同一に非ず、宗教の同一に非ず。……各人相互に同胞兄弟なり同一民族なりとの信念感情に基づく」

こうした考えが国体論者であり、大アジア主義なのでしょうか。慎太郎さんもおそらくお2人の学説を踏まえて、あのようにおっしゃったに違いありません。

また、「五族協和の王道楽土・満州国」の基礎をつくった石原莞爾さんも当然そうしたお考えで、1940年、京都師団長だったときの訓示で、以下のようにおっしゃっています。
「本当に東亜連盟、東亜の大同を考へるならば、日本民族はまず個人としても謙虚でならなければならぬ。……漢民族でも、朝鮮民族でも、白系ロシア人でも各々特徴がある。悪い所ばかり見ないで各々其の善いところを尊重して行く。人の善い所を探して行くことは自らの偉大を来たす所以である」

軍人ではありますが、大変な読書家でもあった石原莞爾の訓示、まことに正論でしょう。しかし、同じ訓示の最後の方ではこのようにいわれています。
「然し天皇は世界唯一の君主であらせられること、天皇に依って世界が統一せられ、人類社会の真の美はしき平和を斎すべきことは我らの信仰である。……東亜の諸民族、世界全人類が逐次この信仰の信者となって来ることを我等は確信する。東亜の諸民族が天皇の御位置を心から信仰し得た時に始めて東亜連盟が完成するのである」

石原莞爾さんの前半には異論はないのですが、後半は私にとってはびっくりです。日本がアジアの独立に貢献したというご意見があり、結果としてはそうもいえそうですが、もしこのような国体論で、日本が推し進めた大東亜の政策が成功していたのなら、世界中の人がみんな日本人になっていたのではないでしょうか。

同じ日本人であっても「彼奴は”反日”日本人」という言い方があります。日本人かどうかをみわけるのは民族的な遺伝子というよりも、信念・信仰によると考えるからでしょうか。移民を受け入れたとしても、「天皇は世界唯一の君主」と思ってくれる教育をしなければ、結局は”反日”日本人ばかりが増えることになります。石原慎太郎さん、そこはどう考えておられるのでしょうか。


ところで、「日本は単一民族の国家」とか、「神の国」とかいって物議もかもしたわが国首相がおられましたが、「日本は単一民族の国家」という考えはとても新しい考えなのだそうです。むしろ、石原慎太郎さんの、「日本はアメリカをしのぐ合衆国」という考えの方が、戦前はどうも主流だったようです。


松岡正剛の千夜千冊」というサイトがあり、小熊英二という方の『単一民族神話の起源<日本人>の自画像の系譜』(新曜社・1995)という書物の書評が載っておりました。戦前の国体論についての理解に役立ちました。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0774.html

      
   (「国家創出は男最高の浪漫」とファウストはいったのに、「国家喪失」の悲哀しか味あわない 哀れなネズミ)
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by damao36 | 2008-06-18 10:39 | 政治 | Comments(0)
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