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体感中国語157―映画「非誠勿擾」のセリフから考える言葉の3本の糸

 2009年の正月中国映画「非誠勿擾」(馮小剛監督)のタイトルは「誠実なおつき合いができるかたのみ」という意味です。漢文訓読式で読むなら「誠ニアラザレバ擾(じゃま)スルナカレ」です。中国の大衆新聞には結婚相手を求める広告欄がありますが、そこでしばしば見かける成句(四字熟語)です。

 億万長者になった、40代でまだ独身の秦奮は、理想の女性にめぐり合えないでいましたが、スチュワーデスの梁笑笑という誠実で美しい女性に出会い、一目ぼれします。笑笑もこの男の彼女になってもいいかと思うようになってきますが、つきあう前提として、こんな条件を出します。

     でも、私の心の中には他の人がいることを許して
     実際に何か行動を起こすようなことはしないわ
     ただ心の中に彼の場所を残しておきたいの
     但是你要允许我心里头有别人
     我不会有实际行动,我只是会在我心里头给他保留一个位子


 秦奮はこんなふうに答えます。

     それなら俺も早く想いを寄せられる人を見つけなきゃな
     でなければ君が心の中で他の男のことを想っている時に俺は相手もいないんじゃ損だからな
      那我还得赶紧再找一个想的人去,要不然你心里有别人我没有, 那我不亏死了!

 笑笑は秦奮がその条件を受け入れたことを知ると、次にこんな要求をします。

     私と一緒に北海道に行ってくれる
     私と彼はあそこから始まったの
     だから私もそこで終わりにしたいの
     能陪我去一趟北海道吗?
     我和他是从那儿开始的, 我也想要在那儿结束

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さて、北海道旅行の最後の方の、秦奮と笑笑の会話はこうです。

      君はさぁ、同時に何人かと付き合うこともできない
      適当な付き合いをすることもできない
      顔に全部書いてあるからな
      俺はこう公言できる
      君はアイツのページをまだめくっていないが、新しいページをめくったら、君は昔の一途さを持てるようになる
      俺はそれを見極めた後、君の今の態度を受け入れるのさ
      君は馬鹿だけど俺は馬鹿じゃあない
      你啊, 想三心二意还真没那本事
      逢场作戏你都不会, 全写脸上了
      我把这话放在这儿, 他这一页你还没有翻过去, 一旦翻到新的一页啊, 你照样会一心一意
      我就看准了这一条才容忍你现在的表现, 你傻我可不傻


      それじゃもし私が教訓を得て賢くなったら
      あなたのもくろみは泡にならない
      那要是我接受了教训变聪明了呢;?  你的如意算盘不就落空了?


 さて、導入部分が長くなりすぎました。男女の会話、今度はこんなふうにしてみたいとどこかで考えながらの引用でした。でも、もうムダな話です。

 私の現実上の関心はというと、どうして中国語の原文は11センテンスなのに、日本語に訳すと19センテンスになっているのかという、まったくクソおもしろくもないことなのです。

 もともと句読点というのは西洋からの輸入概念でしょう。また、音声としての会話では、どこに句読点をどう打つかなんてことは考える必要もありません。あくまでも語り手の自然なリズムのはずです。それに、ここは原文と訳文を対照しているのです。


 ところで、人が話す言葉というものは、それを裏から支えている約束事があり、その言葉の無意識のルールは各言語によって違いがあるとのことです。

 そういえば中国語は孤立語で日本語は膠着語だといわれています。お隣同士の国ではありますが、漢字を共同使用している以外に、二つの言葉はもともと違う根っこから生まれたそうです。ですから、両言語には当然顕著な違いが多いはずです。その一例が、この文の区切りに対する意識の違いなのではないのでしょうか。

 中国語は孤立語といわれているくらいですから、日本語に比べると孤立しているところ、句切れるところが多いはずです。考えてみると中国語を表記する漢字という文字、その一字一字が一語一語なのです。しかも漢字1字の発音は必ず1音節です。表意文字というよりも表語文字だともいわれています。極論すると、一字一字を発音するごとに完結した世界があります。いつでも終わっていい準備ができています。(あくまでも極論!) 

 それに比べて膠着語の日本語はどうなのでしょうか。これも極論すると、日本語というのは牛のよだれのように後へ後へと際限なく(?)つづくことができる言葉なのです。ですから、ここで終わりにしたいときは、どうしても“一丁上がり”とつい力がはいるのです。よだれを拭き切るために、目に見える文では「」を打つことになるのです。きっとそうです。当たっているかどうかはわかりませんが、今の私はそう考えてみることにしました。

 それぞれの言語にはそれぞれの文を裏から支えている目には見えない約束事があります。その“形なき制度”を身につけるためには、①時間の流れ、②空間のひろがり、③論理の整合性の違いを理解することだそうです。言語の使い手の意識に深く分け入るためには、この3つの糸が手がかりになる、本当にそうなのかどうか、いましばらく考えてみることにします。


≪追記≫
 タイトルの「非誠勿擾」は四字熟語(成語)でしたが、中国語はふつうの会話でもよく使われますね。後半部分には以下の4つの四字熟語が使われています。

  三心二意=他のことに気をとられ、一つのことに集中できないさま。
  逢场作戏(逢場作戯)=演技をするかのように表面的な付き合いをするさま。
  一心一意=ひとつのことに専念する。
  如意算盘=自分に都合のいい目論見を立てる、とらぬタヌキの皮算用。

 中学、高校では四字熟語のテストがありました。でも、近ごろは日常生活の中で実際に使うことはまったくといっていいほどなくなりました。こうした漢語を日本語の中で使うと、どうしても硬くて陳腐な感じがするからでしょう。でも中国語はそういうマイナスの感じではなく、四字熟語のような成語を使うことは、物事を比ゆによって的確に説明したり、描写したりしたときに感じる快感のようなものがあります。その場にふさわしい四字熟語で表現することは、言葉の省略にもなり、学がある証拠にもなる、そういう効果があるようです。
by damao36 | 2009-10-06 13:36 | Comments(0)
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