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「黒を決して逃すことがあってはいけない」――この言葉はどうして危険なのか

 今さっき「佐藤栄佐久公式サイト」を覗いてみたら、「国民はどこにいるのか 国民はだれが護るのか(2)」という記事がありました。

 この佐藤栄佐久氏は2006年10月、福島県発注のダム工事で「天の声」を発したとして、弟ともども逮捕された元福島県知事です。

 2008年8月の東京地裁の一審判決は懲役3年、執行猶予5年、2009年10月の東京高裁の二審判決は懲役2年、執行猶予4年でした。この判決は執行猶予がついていますので、実質無罪と同じだそうですが、しかし佐藤氏は「検察が作り上げた事件で、有罪は納得できない」と、目下上告中です。
 
 また、当事者としての事件とのかかわりや検察の取調べの模様などを冷静に振り返って執筆、昨年9月に平凡社から 『知事抹殺 つくられた福島県汚職事件』Iという書を出版されています。

 
 その佐藤さんの昨日の記事には、検察のイメージアップのためか、最近は元検事という方がよくテレビに出るようになっているが、元東京地検特捜部長の熊崎勝彦氏がある番組で発言された以下の言葉について「これは、大変大きな発言です。・・・ともすれば正義感の表れのようにも聞こえますが、とても危険な考え方です」と述べていました。その発言とは以下の言葉です。

        白を黒ということがあってはいけないが、
      黒を決して逃すことがあってはいけない


 
 私にはなぜこの言葉が「危険な考え」なのかよく分かりませんでした。しかし、栄佐久氏の以下の文を読んで、なるほどと思いました。

     人間は無謬ではありえないので、熊崎氏の言葉の前半と後半は、現実的には相容れない考え方で
     す。黒を須く捕らえようと思えば、その中に白が入ってしまうことは不可避だからです。

     「黒を決して逃すことがあってはいけない」は近代司法の考え方を否定する言葉といえます。

     「百人の罪人を放免するとも一人の無辜の民を刑するなかれ」
     これは熊崎氏の言葉と真っ向から対立する重要な概念です。

     推定無罪の原則は、フランス革命までさかのぼり、西欧が数々の流血の歴史を経て確立しました。

     なぜ血を流してまで守らなければならないのか、この言葉がどれほど大切かを噛みしめるのには、無
     実の菅家さんが失った人生の大切な年月を思えば容易なことと思われます。
     また菅家さんに決して謝罪をしなかった元検察官はその「正義」の無責任さを体現しているのではない
     でしょうか。

     罪のない人がなぜ自白するのか。そこで武器として使われるのが、相手の人格を否定し、周りの者を
     生活を脅かすことをほのめかす、マフィアまがいの精神的拷問です。

     熊崎勝彦氏の言に見え隠れしている、黒を逃がさないために、正義のためには何をしても許されるとい
     う、誤った信念。拷問と国民の負託を受けた国会議員の逮捕と失脚を狙った印象操作、そこにあるのは、
     人権と民主主義の否定です。
 


 私は佐藤栄佐久知事逮捕のニュースを見た覚えはきちんとあるのですが、その裁判の結果がどうなっているのかはまったく知りませんでした。

 先月、あるブログで佐藤栄佐久氏にかかわる福島県知事汚職事件が検察によって作られたものであることを知り、1月24日のブログに「こんなことが起こっていいのか――佐藤栄佐久『知事抹殺』書評」という記事を書きました。


 その中で紹介した元NHKワシントン支局長手嶋龍一氏の『知事抹殺』を読んでの書評、再度掲載しますので、まだな方は拡大してお読みください。
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          (くだらぬ原稿を吐き出して高級を食むすジャーナリストになった気分の 私設NHK特派員ネズミ)
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by damao36 | 2010-02-07 17:57 | 政治 | Comments(0)