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「やまとだましい」(和魂・大和魂)とは

 先の大戦開戦から3年間首相を務めた東条英機を、今年は90歳になられる作家の阿川弘之翁(1920年生)が「つゆ和魂なかりけるもの」の代表だと、その著『大人の見識』(新潮新書・2007年)の中で、悪口を書いています。

 どうして東条英機が「つゆ和魂なかりけるもの」(「やまとだましい」のまったくない奴)なのでしょうか。

 阿川翁はまず日本人の欠点として「軽躁」(落ち着きがなく、軽々しく騒ぐこと)を挙げており、そのことを見抜いていたに違いないとして戦国武将武田信玄の「武将の陥りやすき三大失観」を引用して、以下のように述べています。

     一つ、分別あるものを悪人とみること
     二つ、遠慮あるものを臆病とみること
     三つ、軽躁なるものを勇豪とみること
     (武田信玄は)そう戒めています。さすが風林火山を旗じるしに掲げた武人の洞察力だと思います。風林の
    「林」は「徐かなること林の如し」で、軽躁の反対、静謐の価値を重く見ているんですからね。
     信玄の言う「軽躁なるものを勇豪とみること」は、時代が現世に近づくにつれて「失観」とも思わなくなるので
    すが、歴史を逆にたどって行くと、古く平安時代の説話で、やはり軽躁を戒めたものがあるのです。

 つまり、「つゆ和魂なかりける」東条は「軽躁なることを勇豪だとカン違いしている指導者」と見ているのでしょう。「和魂」とは「軽躁」なんかではないと戒めているその出典は、平安末期のわが国最大の古代説話集『今昔物語集』の「明法博士の清原善澄が強盗に殺されたこと」(第29巻第20話)で、阿川翁は以下のように要約説明しています。
http://www.wombat.zaq.ne.jp/esperanto/konzyaku/kon2920.htm(原文ご覧ください)

      清原善澄という学者の家にあるとき強盗が押し入り、家財道具一切合切を盗んで行く。床の下に隠れて
     それを見ていた善澄は、どうにも悔しくて我慢ならなくなり、ようやく一味が立ち去ろうとする時、後ろから、
     「お前たち、明日、必ず検非違使に届けて捕まえてやる」と罵った。怒った泥棒がとって返して、善澄は切り
     殺されてしまう。この話、『今昔物語』に出ています。作者は、こう批判している。
      「善澄、才はめでたかりけれども、つゆ、和魂無かりけものにて、かくも幼きことをいひて死せるなりとぞ

 この「和魂」、平安時代の古文は訓読が原則ですから、「やまとだましい」と読ませています。、阿川翁はさらに以下のように述べています。

      「やまとだましい」は明治以降、特に昭和初期の軍国時代、「大和魂」と表記されて大いに持てはやされ
     ました。「若い血潮の予科練の」で始まる西条八十作詞の『若鷲の歌』(昭和18年)にも、「ぐんと練れ練れ
     攻撃精神、大和魂にゃ敵はない」という有名な一節があります。一般には、こうした「撃ちてし止まむ」風の
     勇猛な精神が「大和魂」だと思われているようですが、『今昔』が「和魂」と書いている通り、本当は漢才に
     対する和魂なんです。日本人なら持っていて然るべき大人の思慮分別なんです。
     http://www.youtube.com/watch?v=sSp_BrnJ7rY「若鷲の歌」。軍歌、なつかしいです。私も予科練希望でした。


 私はなるほどと思いながら、本当だろうかと『広辞苑』を引いてみました。

     やまと-だましい【大和魂】
      ①漢才すなわち学問(漢学)上の知識に対して、実生活上の知恵・才能。和魂(わこん)。源氏物語(少
       女)「才を本としてこそ――の世に用ひらるる方も」⇒漢才
      ②日本民族固有の精神。勇猛で潔いのが特性とされる。椿説弓張月(後編)「事に迫りて死を軽んずる
       は、――なれど多くは慮(おもんはかり)の浅きに似て、学ばざるの悞(あやまり)なり」


 「和魂漢才」という語もありますが、この語は室町時代の『菅家遺誡』に出ているそうです。その語のもじりとして明治以降には「和魂洋才」という語が使われています。こうした「和魂」とか「大和魂」とかいう語を見聞きすると、私はどうしてもどこかの国や地域と比べてわが国精神文化の優位性を強調した語だととらえていたのでしたが、「やまとだましい」とはもともとは学問・知識(漢才・洋才)とは異なる日常生活を送るときに必要な思慮分別であり、生活の知恵であり、生活者の感覚・才覚のことなのですね。

 大戦開戦当時のわが国がどういう状況にあったか、詳しくは知りませんが、ひょっとして国際社会の中では今の北朝鮮みたいに孤立していたのではないでしょうか。国民の大部分は戦争なんか欲していなかったのに、そういう状態に我慢できず、負けるに決まっているアメリカとの戦いを東条たちは始めた、だから「つゆ和魂なかりけるもの」といっておられるのでしょう。


 さて、話し変わって、今の小沢・鳩山の「政治とカネ」の問題、生活者としては虚偽記載違反とか贈与税逃れとか(収賄罪が立件できたら別ですが)で、お二人が進めようとしているわが国の“大掃除”を中止に追い込むようでは、「(地検や自民)、才はめでたかりけれども、つゆ、和魂なかりけものにて、かくも幼きことをいひて(民主主義の定着は)死せるなりとぞ」ということにならないか、そう思うのです。正義を振りかざす自民党、公明党、共産党らが、日本の“大掃除”は必要ないとのお考えでしたら、仕方のないことですが。


           (”大掃除”なんかはじめて、ネズミ退治なんかされたらかなわん そんな迷いもあるドブネズミ)
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by damao36 | 2010-01-24 09:52 | 政治 | Comments(0)

阿川弘之翁の鈴木貫太郎評――『大人の見識』から

 国の運命を左右する要職に在りながら、「つゆ和魂なかりけるもの」の代表は東条英機陸軍大将だと大正9年(1920年)生まれの阿川弘之翁は『大人の見識』(新潮新書・2007年)の中で、開戦から3年間首相を務めた東条英機の悪口を書いています。

 「大人の見識」とは悪口をいうことかと思われる方もおられるでしょうが、ご自分でも「いっそ題名を『老人の不見識』にしたら」とおっしゃっていますけれども、だれかの悪口ばかりを書いているわけではありません。

 阿川翁は学徒動員で予備学生として海軍に入り、少尉に任官しています。イギリス海軍の精神に学んだ日本の海軍では「ユーモアを解せざるものは海軍士官の資格なし」、「海軍に入った以上、体のこなしもものの考え方もワイヤのように柔軟であれ」という基礎教育を受け、そのような“ネイビズム”(海軍精神)への思い入れは強くあります。きっとそのせいでしょう、帝国陸軍はユーモアを解さず硬直した集団だと、お嫌いのようです。

 その阿川翁が東条英機陸軍大将とは正反対に賞賛している人物がいます。それは終戦の年の4月、77歳と言う史上最高年齢で首相就任という記録を持つ鈴木貫太郎海軍大将です。


 それでは鈴木貫太郎提督の語録を列挙しておきます。

    「深い哀悼の意をアメリカ国民に送る」 (ルーズベルト米国大統領急逝へのステートメント
       これに対して世界各国で大きな反響があり、亡命中のドイツ作家トーマス・マンは以下のようにドイツ国
      民に語りかけたとのことです。
         これは呆れるばかりのことではありませんか。日本はアメリカと生死をかけた戦争をしているのです。
        あの東方の国には、騎士道精神と人間の品位に対する感覚が、死と偉大性に対する畏敬が、まだ存
        在するのです。これが(ドイツと)違う点です。ドイツでは……。
(P39)

    「いやしくも名将は特攻隊の力は借りないであろう。特攻隊はまったく生還を期さない一種の自殺戦術であ
    る。こうした戦術でなければ、戦勢が挽回できなくなったということは明らかに敗けである。だが敗けるというこ
    とは滅亡するということとは違うのであって、その民族が活動力さえあれば、立派な独立国として世界に貢献
    することもできるのであるが、玉砕してはもう国家そのものがなくなり、再分割されてしまうのだから、実も蓋も
    ない」
(P44)

    「戦争は勝ちっぷりが良くなくてはいけないが、負けっぷりも良くないといけません。鯉は俎板の上に載せら
    れたら、包丁をあてたってびくともしない。あの調子でどうか吉田さん、負けっぷり良くやってください」
(P47)
     (鈴木内閣の次の内閣の外務大臣になった吉田茂へのメッセージ
  
 
 鈴木首相は東条英機がいる重臣会議では卓を叩いて「理外の理」を主張し、「本土決戦をしてでも最後まで戦い抜く。利あらざる時は死あるのみ」と、東条と同じ意見を大声で述べたりします。しかしこれは一生一代の演技だったと阿川翁は推測します。総理大臣の顔つき、人間としての風格が海外では「国家の品格」として受け取られる、その優れた例として鈴木提督を賞賛し、終戦処理の功績を以下のように述べています。

     何しろ軍の強硬派は、広島長崎への原爆投下、ソ連の参戦という非常事態に直面して尚、本土決戦一億
    玉砕の主張を翻さなかったのです。鈴木さんは逆に、この悲惨事を好機として一挙終戦に持ち込むんです
    が、もしそれも失敗に終わっていたら、日本はどうなっていたと思いますか?団塊の世代なんてものはこんに
    ち存在しないんですよ。全国各地で沖縄戦と同じ状況が繰り拡げられて、陸海軍の将兵はもとより、女子挺
    身隊の若い娘たちも次から次へ斃れて行く。天皇御一家は松代大本営の地下壕の中へ無理矢理移されて、
    最後は両陛下も皇子皇女も、刺しちがえたり毒を仰いだりしてお亡くなりになる。二千年の歴史を持つ東洋の
    君主国は、文字通り亡び去ったでしょね。 (P45)


     (「首相の品位が国家の品格として受け取られる」という。麻生さんと鳩山さん、どちらが品格があるのか、
      目下検討中の 面食いネズミ)  

≪追記≫
Wikipediaの「鈴木貫太郎」と「坂の上の雲 鈴木貫太郎」を読んだら、阿川翁の言っていることはでたらめではないと思いました。おヒマでしたらご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%B2%AB%E5%A4%AA%E9%83%8E
(Wikipedia 鈴木貫太郎)
http://sakanouenokumo.hp.infoseek.co.jp/onikan.htm(坂の上の雲 鈴木貫太郎)
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by damao36 | 2010-01-21 09:44 | 政治 | Comments(0)

阿川弘之翁の東条英機評――『大人の見識』から

 『文藝春秋』を読むとき、私は必ず随筆巻頭の阿川弘之氏の文章から目を通すことにしています。また、その娘さん阿川佐和子さんは私の好きな女性のお一人です。

 前回の私のブログ記事「南京大虐殺の真相――船戸与一の『灰塵の暦』」で東条英機のことに触れたので、1年ほど前に読んだ阿川氏の『大人の見識』(新潮新書・2007年)に東条英機への小気味よい悪口が並べられていたことを思い出し、忘れないためにここに引用して紹介することにしました。

   (「老人の不見識――序に代えて」から)
     戦争中、ある意味で日本人は思考停止の状態にありましたが、戦後も逆のかたちで思考停止をやってい
    る。……。
     近頃はまた反動の反動が来て、日本の対米開戦を肯定するような議論も見かけますが、僕は賛成しませ
    んね。……。別に自慢にもなりませんけど、開戦当時の首相、その意味では日本を滅ぼしかけた最高責任
    者東条英機の、例の「ここに嚇嚇たる戦果が――」という有名な演説口調を、僕はじかに耳にしているんで
    す。 (P7)
 
   (「第一章 日本人の見識  東条の演説」から)
     国の運命を左右する要職に在りながら、「つゆ和魂なかりけるもの」の代表は、やはり東条英機陸軍大将で
    しょう。開戦の少し前から戦中の3年間総理大臣兼陸軍大臣を務めたこの人に、僕は今も非常な不満と不信
    感とをもっています。死者に鞭打つことはしないのが東洋の礼節かもしれないが、あえてそれを無視して不満
    を述べたい。 (P19)

     そのあとすぐ(引用者注;安田講堂で「嚇嚇たる――」の演説を聞いた後)、私は予備学生として海軍に入り、
    やがて少尉任官、……三宅坂あたりで東条首相の車とすれちがったこともあります。……、そういう時は姿勢
    を正してきちんと敬礼しましたが、実際に尊敬の念を抱くとか、ひそかに親しみを感じたとか、そんなことは一
    度もなかった。何しろやることがみみっちいんだもの。 (P21)

     ……。それも含めて東条に対して極めて批判的だった知識人の一人は外交評論家の清沢洌ですね。清沢
    の『暗黒日記』(岩波文庫)には、こう書いてある。
    「世界においてかくの如き幼稚愚昧な指導者が国家の重大時期に、国家を率いたることありや――僕は毎
    日、こうした嘆声を洩らすのを常とする。帝大の某教授(辰野隆氏)曰く、『東条首相というのは中学生ぐらい
    の頭脳ですね。あれぐらいのものは中学生の中に沢山いますよ』と」 (P22)

     高松宮は早い時期にもう、日本の敗戦必至と見て、今後は戦争目的を如何に上手に負けるかに切り替え
    て行くより仕方がないと考えておられたのですが、「必勝の信念」を持つ東条が政権を握っていてはどうに
    もならない。ある日沈痛な面持ちで細川さん(引用者注;私設情報係りの細川護貞氏)に、
    「もうこうなったら東条を殺すしかない。誰かやる奴はいないか」
     と言い出されるのです。それに対して護貞さんは、明智光秀の「本能寺の変」の故事を持ち出して、
    「殿下がそれを仰有っちゃいかん。しかし一旦口に出された以上、すぐ実行しなくては逆に殿下のお命が危な
    い。やりましょう。電話をかけて、東条に此処へ来るよう仰せつけいただきたい。東条は必ずやって来ます。そ
    の時私が刺します」
     と、自分も命を捨てる覚悟で答えるのです。(引用者注;『細川日記』中公文庫) (P23)
    
   (「第一章 日本人の見識  局長ならば名局長」から)
      ……。「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」と言うくらいすべて不足がちの時世に、陸軍はアヘンの密売で金を
    貯めて莫大な機密費を持っていたらしい。高木惣吉少将の戦後証言によれば、重要な会議のあと、要人が
    帰る車の中に洋服地や高級タバコ、高級ウイスキーなど普通は手に入らないものが積んであったそうです。
    機密費を使って何くれと付け届けを欠かさないので、宮中筋ですら東条の評判は割りと良かったといいます。
    (P26)

     恣意的な報復の実例がたくさんあるのです。……。
       (引用者注;懲罰招集の例として、「竹槍では勝てない」という記事を書いた毎日記者新名丈夫、東条を批判した東海大学創立者
         松前重義氏を挙げており、いずれも40前後で一兵卒として招集されたそうです。


     口では名誉の入営、栄えある出征といいながら、実のところ軍隊に取られるのは懲役に処せられるのと同
    じだと証明しているんですよ。細川護貞は、これについても、
    「海軍の計算によれば、斯くの如く東条の私怨を晴らさんが為、無理なる召集をしたる者七十二人に及べり
    と。正に神聖なる応召は、文字通り東条の私怨を晴らさんが為の道具となりたり」(昭和十九年十月一日)
     と書き残しています。 (P28)     

     その陸軍大将が、今、護国の神として靖国神社に祀られています。僕は信仰心が薄くて、人間死ねば無に
    帰すると考えているし、業績が後世に残ることは認めても、霊魂が残ってお盆にふるさとの家に帰ってくるな
    んてことは信じてませんから、靖国神社参拝も殆どしていません。それがもしお参りに行くとしたら、二十代で
    戦死した同期生たちに何かを訴えに行くのであって、この機会に東条さんのみたまを拝んで来ようなんて気
    にはなれそうもないですね。 (P32)

   (「第一章 日本人の見識  沈黙を守った人々」から)
     ただし、自殺やりそこないの傷が癒えて東京裁判の法廷に立って以後の東条は、なかなか立派だったと聞
    いています。
     ……。それで、多くの人が、他のことはともかく東条さんの天皇崇拝の念は非常に強かったと思っているら
    しいが、果たしてそうだったのかどうか。(P33)

     ……。陸軍第一国家第一主義、陸軍の言うことをきかぬ天皇なら強要してでも従わせろ、それで駄目なら
    幽閉して、別の皇族を天皇に立てればいいというのが、長年にわたる陸軍の皇室観だったのではないです
    か。 (P34)

     さて、これまで語ったところを振り返ってみると、僕は『細川日記』や清沢洌の『暗黒日記』を引用して、東条
    の悪口ばかり言ってますが、これは、先に述べた通り、アメリカとの「負けるに決まった」戦争が始まりそうな
    時、大勇猛心をふるってそれを阻止する人がいなかった、国の指導者層は「つゆ和魂なかりけるもの」ばかり
    で、その代表格が東条首相だと思うからこの人を取り上げたのでして、日本を滅亡の淵まで追い込んだ責任
    者は、陸軍の各部局を始め、海軍にも言論界にも大勢います。 (P35)

            (ザ・カルト・オブ・ヤスクニ全盛だった2007年ごろにこの翁はこんなことを書いていたのか 
             年寄りの言には素直に耳を傾けるべきだと考える 年寄りネズミ)
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by damao36 | 2010-01-11 15:36 | 政治 | Comments(0)

南京大虐殺の真相――船戸与一の『灰塵の暦』を読む

 2008年4月、図書館の新刊コーナーに「満州国演義」というタイトルの本を見つけ、どんな内容なのかとページをめくっていると、私が生まれて12年間も住んでいて、それ以後60年もなるのにいまだ訪れたことのない“マボロシのふるさと”通化という街の名がでてきたので、さっそく借りて読んで見ました。

 その「満州国演義」というのは船戸与一という方の書き下ろし長編小説で、今5冊目までが図書館の書架に並んでいます。

    『風の払暁 満州国演義1』(船戸与一著・新潮社・2007年)
    『事変の夜 満州国演義2』(船戸与一著・新潮社・2007年)
    『群狼の舞 満州国演義3』(船戸与一著・新潮社・2008年)
    『炎の回廊 満州国演義4』(船戸与一著・新潮社・2008年)
    『灰塵の暦 満州国演義5』(船戸与一著・新潮社・2009年)

 1と2は一昨年に、3と4は去年読んだのでしたが、去年の暮れに図書館で5冊目を見つけたので、正月は歌番組とネット囲碁の合間に5冊目の『灰塵の暦』を読むことにしました。

 時代の背景は私が生まれた昭和11年から12年にかけてでした。

 昭和11年の2月には陸軍皇道派による二・二六事件が起こり、翌12年7月にはいわゆるシナ事変が勃発、12月にはこれもいわゆる南京大虐殺が起こっています。

 当時のわが国は軍部の皇道派と統制派の権力争いがあり、皇道派の二・二六クーデターは統制派によって鎮圧され、北一輝などの民間人も含めて二・二六事件の首謀者たちは銃殺刑に処せらて終息します。

 それが収まると、今度は軍部内の対支慎重派と対支一撃派との争いとなり、“暴支膺懲”(粗暴なるシナは懲らしめるに限る)を唱える蛮勇の対支一撃論者がどうしても強く、石原莞爾らの慎重派は既成事実の前になすすべはなく、対支不拡充路線は完全放棄に追い込まれます。

 一方中国側では昭和11年12月に西安事件が起こり、その結果抗日のための国共合作が実現します。そのせいもあってか、支那軍の反撃は一撃派の予想を超え、“一撃”では収まらずに、戦火は上海戦へと飛び火し、日中全面戦争へと突入していきます。

 もはや政治のコントロールのきかない軍部の暴走は拍車がかかり、昭和12年12月、皇軍と称する日本軍は国民政府の首都であった南京を攻略し、陥落させます。



 私は一昨年にこのシリーズを読みはじめるまでは満州国についての書を読んだことはほとんどありませんでした。
 
 その後は図書館にある以下の書を、ここ1,2年の間で読んでみたのでした。

    『阿片王 満洲の夜と霧』(佐野眞一・新潮社2005)
    『阿片王一代 中国阿片市場の帝王・里見甫の生涯』(千賀基史・光人社・2007)
    『満州裏史 甘粕正彦と岸信介が背負ったもの』(太田尚樹・講談社・2005)
    『黄沙の楽土 石原莞爾と日本人が見た夢』(佐高信・朝日新聞・2000年)
    『甘粕正彦 乱心の曠野』(佐野眞一・新潮社2008)


 昭和12年という時代は東条英機が関東軍参謀長という地位につき、第二の満州国をということで綏遠事件を起こします。しかしその目論見は失敗しますが、それを補うべく参謀長たる東条が異例の兵団長をかねてチャハル作戦をしかけ、蒙疆傀儡政権を樹立します。また昭和11年には商工省工務局長であった岸信介が満州国国務院総務部司長として渡満し、熱河アヘンにつづく内蒙古アヘンの権益をも手に入れた東条は岸と組んで最高権力者へ上る足がかりを固める時期でもあります。

 要するにこの小説は敷島4兄弟という架空の人物を設定していますが、時代の背景そのものは作者の良心に従って正確に描こうとしている、私にはそう思われました。

 いわゆるシナ事変についても、支那駐屯軍謀略説、共産党説、藍衣社説の3つを挙げていますが、2や3であったとしても、対支一撃論派が渡りに舟と勢いづいたことに相違はない、と読みながら私はそう考えました。

 この書の最後は日本軍の南京攻略勝利で終わっているのですが、柳川平助第十軍長は杭州上陸の際に「山川草木全て敵なり」といって部下を叱咤激励し、そのせいか日本軍の行為は残虐を極めます。南京攻略の際は「皇軍の名誉を汚すな」という命令が出されますが、皇軍の糧秣は現地調達だったこともあり、スーパーに行ってまともに料金を払って買うはずはなく、手っ取り早い略奪行為に走り、ついでに婦女暴行も行われたに違いありません。また捕虜に食べさせる食糧はないということで、直ちに処刑し、銃殺刑以外に、日本刀での試し切り、初年兵の鍛錬ということで銃剣による刺殺も行われたことは、私自身の幼いころの見聞からもそのような行為が行われたことは間違いないと思いました。上官の命令には絶対服従で、鉄拳制裁など当たり前の軍隊生活、私もそんな状況下なら、平常では考えられないことを平気でしたに違いない、私はそう思うのでした。

 当時の大本営発表では「皇軍が外国の首都に入城するのは有史以来の盛事」として報道され、内地では50万からやがては百万に達する祝勝提灯行列があったとのことです。しかし、南京入城直後の松井石根中支那方面軍司令官は「せっかくの皇威を輝かしたのに、一部の兵の不埒な行為によって皇威が汚され、天皇陛下にどう申し開きすればいいかわからない」と、慟哭していたと最後のページに書かれています。

 この外、当時の満洲で活躍した東条英機や岸信介、石原莞爾、甘粕正彦、里見甫、川島芳子、小沢征爾の父小沢開作など実在の人物の活躍が話題として出てきますが、満洲関連の書をかなり読んでいたので、私は容易に理解することができました。


          (南京大虐殺はでっあげと発言して11日で辞任した元法相永野茂門氏が亡くなりました。
           30万という数字はオーバーだとは思いますが、この書に書かれているようなことはあったと思う 
           自虐史観のネズミ)


≪蛇足≫
国民学校で聞かされた覚えのある「満州国国歌」と満洲在住者にはなつかしい「満州娘」、お聞きください。
http://www.youtube.com/watch?v=NprDVmFaHU4&feature=related(「満州国国歌」)
http://www.youtube.com/watch?v=02X80m_wMbo&NR=1
(「満州娘」)
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by damao36 | 2010-01-07 19:22 | 中国 | Comments(0)

虎 年 虎 威、 虎 虎 生 風

 「あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。」


 まあ日本人らしく型どおりの挨拶を今年も何回か繰り返しています。

 ところで、相手が英語圏の人だったら“Happy new year!”で、中国語圏だったら“新年快楽!”か“新年好!”かと、トライリンガルを目指す老人としてはついついそんな余計なことをつぶやくのでした。

 その呟きを耳にしたケンチュウ派のカミサン、「シナ語は英語のパクリか」とつっこんで来ました。「シナ人ならシナ人らしく“恭喜發財”(儲かりますように)といえばいいのに」とも。でも頑迷な中国人は21世紀になってもなお正月は旧正月のことだと思iい込んでいるのですから、この言葉は春節用にとっているようです。

 購読しているカラフルな中国語新聞の年頭のあいさつ文を見てみたら、こんな威勢のいい、から元気のコワイ漢字が並んでいました。

  虎 年 虎 威、 虎 虎 生 風
  (虎の年には虎の威力だ。虎が虎のような風を巻き起こすのだ。)


 さて、ことしの年末年始、例年だとテレビの政治番組をわりとよく見て、自分なりに反省するのですが、今年は腹が立つからでしょうか、ひとつも見ませんでした。その代わりに歌番組ばかり見ていました。

 年末のBSのみなみこうせつのライブとか船橋徹の歌曲、千秋なおみや美空ひばりの歌声、「歌は世につれ世は歌につれ」といいますが、その時々が思い起こされていいひと時を過ごしました。しかし、30日のレコード大賞、31日の紅白歌合戦、ネット囲碁をしながら聞いていたこともありますが、さわがしいドタバタ曲がおおいという感じでした。でも、紅白のSMAPの歌は「よくできました」、ドリカムは「まあまあ」、北島三郎は「さすが」というのが私の評価です。

 そうそう、紅白ではもう一つ印象に残るものがありました。

 それは今夜から始まる「龍馬伝」で坂本龍馬を演じる福山雅治という人を始めて知り、今の日本のやわな男性俳優群の中では”韓流”に負けない一番いい男ではないか、そんなことさえ思ったのです。

 NHKの大河ドラマ、どうもウソっぽく感じることが多く、ほとんど見ないのですが(本当は難聴気味で聞き取りがたい)、福山の龍馬なら見てみようかとも思ったりしています。


                    (「みなさま今年もよろしく」とやっぱりいいたくなる 村八分がこわいニホン・ネズミ)

≪蛇足≫
 日本で発行されている中国語新聞には”入郷随俗”(郷に入れば郷に従え)で、新年号はトラ、トラ、トラと書いていますが、本当はまだトラ年ではありません。今年の春節2月14日以前生まれの子はまだウシ年だそうです。
 春節というのは太陽暦1月21日から2月20日までの間を毎年浮遊するので、ビジネスに不便を来たすということで、いま中国では”春節”を2月4日の”春分の日”に固定する案が検討されているとか。
 あれ、”春分の日”というのは”節分”のことで、平安時代からある宮中行事”追な”のことだと理解していたのですが、”春分の日”と”節分”は関係ないのでしょうか。
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by damao36 | 2010-01-02 13:45 | 中国語 | Comments(0)