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日本はアメリカの属国、それでいいのか

 今度の日米首脳会談後の昼食会で麻生首相は大統領とではなく米国有識者4人と昼食をとりました。元大統領補佐官であったスコウクロフト(81)、ブレジンスキー(78)、元国務副長官のアーミテージ(62)、現戦略国際問題研究所(CSIS)所長のハムレ(50?)、この4人の方です。

 この中でオバマ大統領の最高顧問と目されるブレジンスキーの対日論、簡単にいうと「日本はアメリカの属国であり、被保護国である」ということで、この「属国」の「属」は「従属」、「服属」、「隷属」の「属」ではなく、「付属」の「属」でもなく、単なる「所属」とか「帰属」とかを意味する「属」だと理解し、中国やロシアの属国になるよりもベターな選択で、私たちはグローバル・アメリカ帝国株式会社の社員でよかったと感じ、「それでいいのだ」と書いたのでした。

 そうは書いたものの、優柔不断の私は「それでいいのか」という疑問もぬぐえないでいるのでした。


 親会社が立派な社会貢献をし、経営トップは信頼でき、企業モラルをまもり、風通しも良く、社会貢献も大いにしている会社なら、その一員としてプライドをもってはたらくことができるでしょうが、トップは頑迷で知性のかけらもなく、詐欺まがいの商法で金儲けを企み、強圧的に命令をくだすばかりで、社会に大きな害を与える会社だったとしたら、暴力団とか、詐欺師集団とかが経営する悪徳商社だったとしたら、たとえ2番目の高給取りだったとしても一日も早く退職して、「知足」の精神で、分に応じた生活に戻った方が賢明なのではということです。

 確かにブッシュ前大統領は私には頑迷であまり知性的な方だとは思えませんでした。総額8京円にも及ぶ詐欺手法のデリバティブ(金融派生商品)を世界中に売りつけて、世界中を大不況に陥れるなんて、企業モラルも社会貢献も今やもう最最低です。噂によると、今度は黒人系のオバマで行こうと最初に企んだのはデイブィッド・ロックフェラー(93)なんだそうで、やがて訪れる不況から発生する国内暴動にはあの肌の色が有効だからだとか。ネオコンとかイスラエル・ロビーとか伝統あるCIAの諜報活動とか、必ずしも風通しがいいとはいえない、そんなふうにもつい考えるのです。傾いたアメリカ帝国商社を再建するには最低でも40兆ドル(4000兆円)の税金投入が必要で、シティバンクもとうとう実質国有化されてしました。でも、あと50行くらいの中小銀行が経営危機に陥る見通しだとか。

 これも噂なのですが、「アメリカ・ディソルブド案」(アメリカ見限り案)なるものが各国指導者の中でひそかに話し合われ、そのメンバーの先頭はベネズエラのチャベス、それにイランや北朝鮮、その背後にはBRICsが虎視眈々と控えており、やがてはイスラム教国の産油国もくつついてきそうだとか。

 でも、こうした親会社のアメリカ衰退説、素人の私にはどれくらい信じていいか分からず、その答えを麻生総理に求めるには余りにも頼りなく、本当に信頼できる日本国経営者はいないものかと、私ごときが悩んでもどうにもならないことは分かっていますが、暇をもてあまして、ついそんなことで時間を潰してしまうのです。


 ところで、産経新聞・正論に日本国際フォーラム理事長・伊藤憲一氏が「『テロとの戦争』の何が誤りか」という論文がありました。
http://sankei.jp.msn.com/world/america/090225/amr0902250359002-n1.htm

 その主旨は今は「冷戦時代」(熱戦のない時代)」が終焉して「不戦時代」(戦争のない時代)」になった。「不戦時代」とは「平和な時代」という意味ではまったくなく、「戦争に代わって紛争が世界の平和を脅かす時代」になったということ。「戦争」がなくなり、「軍隊」の任務が「警察」化する時代だということで、01年の9.11米国同時多発テロ事件を契機として、人類はまったく新しい安全保障状況である「紛争時代」に突入したというお考えです。

 この人の論文以前読んだことがあるなあと思い、思い出してみると、やはり正論07年4月に「世界情勢を読み解く4つのカギ」という論文があり、私もこの論文を読んで同じだタイトルの文をブログにアップしていました。
http://www.jfir.or.jp/j/info-research/ito/070402.html

 なお、調べてみると、伊藤氏、昨年7月、財団法人青森地域社会研究所記念講演会で「世界情勢を読み解くカギ」という題での講演記録がありました。

 その講演後の質問の時間にある方が「ポスト・アメリカはあるのか」という質問をし、伊藤氏はそれに対して以下のように答えていました。かなり長くなりますが、その答えを全文引用しておきます。
http://www.jfir.or.jp/j/info-research/ito/ito_080918.pdf
 

 (引用始まり)
 私は、将来的には人類というのは、世界政府を、あるいは限りなく世界政府に近いものをつくって、安定した世界秩序をつくらなければ、核の拡散であるとか、テロリストやら、いろいろな問題が起こってきている中で、とんでもないカタストロフィーに陥っていく段階に来ていると思います。環境問題や資源エネルギー問題もそうだと思います。そういう時に、せっかく20世紀、21世紀の歴史を通じて、現在のような「不戦共同体」というようなものが形成されてきつつあるのであれば、これを強化し、盛り立てていく以上の道はないのではないか。これに対して、よく「ポスト・アメリカ」の後は「中国の覇権」だとか、「何国の覇権」であるとかと、おもしろ、おかしく論じ立てている人たちというのは、非常に危険な間違いをしているのではないか、と私は思います。そのような歴史観は、「歴史は無限に同じことを繰り返している」という歴史観なのです。「今まで歴史の中では、アメリカの前はイギリス、イギリスの前はスペイン、その前はどこと、いろいろな国が出てきては引っ込み、引っ込んでは出てきたではないか。だから、アメリカの後はまたどこかの国が出てくるに決まっている」という話になるわけです。しかし、私は、そんなことをしている余裕は、いまの人類にはもうないのではないか、と思うのです。歴史的時間というのは、加速度的に進行しております。現代の10年は中世の100年や古代の1000年に匹敵するスピードで進行しています。地球温暖化一つをとってみても、その変化のスピードは加速度的です。人類は死に急いでいるのかもしれません。そういうときに、世界政府をつくるといっても、これはみなが集まって議論していれば、まとまるという話ではなくて、どこの国も自分が中心の世界政府をつくりたいと思うわけですから、そういう時に、我々はできるだけ普遍性のある国を中心にまとまったシステムの方が、自国民の優越性、特殊性を言い立てる国を中心につくる世界政府よりも望ましいはずだという基本認識をもつわけです。そのあたりが、現状で我々が望むことのできる最大限の人類の姿ではないか。それ以上のことを望んでも、人類史というのは、ある意味で生き延びていく体制をつくれるのか、それとも破局の中で破滅するのか、むしろそのような選択を迫られる直前まで来ているのではないか。だから、「ポスト・アメリカ」の後は「どこの国の覇権」かなどと言う、野球の評論みたいなことを言っているゆとりは人類にはもうない、というのが私の認識でございます。 (引用終わり)


 なるほどなあと私は思いました。

 私が下線を引いた部分、簡単にいうと前者は「普遍国家」、後者は「民族国家」です。日本はもちろん「民族国家」です。ヨーロッパの国々もそうです。ロシアもそうです。中国も56民族からなる多民族国家だといっていますが、9割は漢民族ですから、やっぱりそうです。

 でも、アメリカは違います。いまやケニア留学生の息子がアメリカ大統領です。閣僚など最高指導部には黒人系、ヒスパニック系、中国系、日系がまじっています。マジョリティーとマイノリティーの数が入れ替わろうとしています。そんな普遍国家だから、世界を束ねるのに最もふさわしい、伊藤氏はそうおっしゃるのです。

 なるほどとなあと思い、私もやっぱり 日本はアメリカの属国、それでいいのだ と改めて思うのでした。


         (昨夜は演歌歌手ジェロの「母子で目指した紅白歌合戦」を見て、自殺未遂までした母親の苦労に
          思わずほろりとした 心やさしいネズミ)
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by damao36 | 2009-02-28 21:51 | 政治 | Comments(0)

日本はアメリカの属国、それでいいのだ

 日本時間25日早朝の麻生・オバマ日米会談、恒例の大統領との昼食会はなく、麻生首相は市内のホテルで、元大統領補佐官であったスコウクロフト(81)、ブレジンスキー(78)、元国務副長官のアーミテージ(62)、現戦略国際問題研究所(CSIS)所長のハムレ(5?)各氏と会食しました。このことについては昨日の「日米首脳会談と昼食会」で調べたことを書いておきました。

 素人の私が素人だから不思議に思ったこと、それは会食に参加した方々、ブレジンスキーは今度の大統領選挙で民主党候補のオバマを応援、その陣営の事実上の最高顧問だったというので理解できますが、あとの方々はブッシュ時代のいわゆるネオコンとは一線を画してはいますが、民主党ではなく共和党政権時代に国家安全保障担当大統領補佐官とか国防副長官とかを務めた方々だということです。国家安全保障問題の基本線というのは政権が変わったからといって変わるものではない、考えてみれば当然の話ですが、チエンジをスローガンにしていただけに、最初はそこが不思議でした。これからのオバマ政権の戦略国際問題、この方々が指導していかれるのでしょう。

 次に、その方々の経歴紹介の中で気になったことは、ブレジンスキーの以下の個所です。

  日本に対しては属国意識を持ち、日本を米国の被保護国と呼ぶ。日本がアジアの大国になることは「不可能」
 であり、日本はひたすら経済成長に力を注ぎ、その経済力を国際社会に寄附し使ってもらう存在になるべきだと
 説く。



 引っかかったのは、この中の「属国」、「保護国」という語です。

 今の日本は20世紀前半各地に存在した植民地国ではありませんが、アメリカ的世界の一員に違いありません。アメリカ帝国株式会社というグローバル大企業に所属する社員に違いありません。麻生さんはさしずめ東京支社長で、私たちは日本という土地で働いて生活しているアメリカ帝国株式会社の社員ということでしょう。

 「属国」の「」は「従属」、「服属」、「隷属」の「」ではなく、「付属」の「」でもありません。単なる「所属」とか「帰属」とかを意味する「」なのです。

 人には「」というのがあります。国にもあるはずです。人口は世界で何番目かでしょうが、国土は小さく、海洋資源以外の資源は乏しい国です。お隣には世界一の人口をもつ中国がおります。世界一の国土をもつロシアもおります。ですから、日本がアメリカや中国やロシアと対等に相撲を取ろうと考えるのはバカげたことです。なぜなら、まともにぶつかったのでは勝ち目はないからです。中国やロシアの属国になりたくなければ、ベストではなくてもベターな選択としてアメリカの“社員”になるのが賢明なのです。


 今回のアメリカ発金融危機でアメリカの覇権が崩壊し、1ドル20円になったらさすがに考え直さねばなりませんが、アメリカが倒産したら私たちはもともこもなくなくなり路頭に迷いかねないので、今はもう少しアメリカが立ち直るために何十、何百兆円かわかりませんが、貢がざるをえないのです。そんな定めになっているのです。

 だから私は思うのです。中川昭一さんとか田母神俊雄さんのようにあんまり愛国心が強く、「ヤンキーなにするものぞ」といったふてぶてしい態度で本社に抵抗すると、静かに消されるのです。

 田母神幕僚長、あのような歴史観を公務員が、日本の軍人が発表したら中国がかんかんになって抗議する、だから福田政権は野党が追及しない先に罷免したと最初は思っていたのでした。しかし、真相はどうも違うのです。田母神幕僚長はアメリカの逆鱗に触れる行為が散見されていたからなのです。

 「週刊現代」12月20日号に田母神俊雄氏は『米軍撤退核武装宣言』という論文を発表していました。そこに「米国製装備を2倍の高値で購入させられている」とアメリカ本社に文句を言ってねぎった事実が書かれていました。

  たとえば航空自衛隊の戦闘機の購入に関して言えば、時代順に、F-104(1機約4億円)、F-4(1機約20億
 円)、F-15(1機約100億円)、F-22(1機約500億円・米議会の承認待ち)と、機種が新型に変わるたびに価格
 はだいたい5倍にハネ上がってきました。他にもさまざまな兵器が、本来の適正価格より数倍増しとか、モノによ
 っては2倍もの高値で買わされているのです。


 だから田母神幕僚長は無謀にも勇敢にも本社に向かって「高い」と文句を言ったのです。煙たがれるはずです。ここから先は私の推論ですが、そういう真っ正直な愛国者だから、田母神さんはあのような論文発表という軽率な行為をそそのかされて、見事罷免されたのです。
http://lailai-hanyu.at.webry.info/200812/article_8.html

 話は大きく脱線してしまいました。

 私は近かごろどうしてわが国の憂国・愛国の保守党右派、真正保守派の政治家たちにこうも次々と災いが降りかかるのか、どうしてなのかと不思議なのです。平沼赳夫安倍晋三中川昭一といった方々、麻生太郎さん、まだ頂点にいますが、猿回しのかわいいサルでした。それにあの田母神俊雄さん、真に自分の国を愛する“愛国軍人”なのに、不当に罷免されてしまいました。

 残りの保守党の方々、表面は「愛国」を否定はしませんが、みんなグローバル・アメリカ帝国株式会社の社員でよかったと思っているのです。私もそうなのです


        (「人はパンのみに生きる」、私はネズミだからもちろん、そう思って今日もリケンをあさる夢ばかり見る 
         元詐欺師 ネズミ)
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by damao36 | 2009-02-28 21:48 | 政治 | Comments(0)

中国人女性の日本人男性観

 中国情報専門のネット「サーチナ」(Searchina)には「今日のブログ」というコラムがあり、毎回中国人が書いたブログを日本語訳して紹介しています。2月21日の記事のタイトルは「日本人男性と付き合いたい?中国人女性の本音」でした。

 私も大学院に留学している大変活発な中国女性から同じような話をきいたことがあります。

 私もそうでしたが、大学に入ると急に自堕落になり、朝寝をし、朝食を飛ばしたり、インスタントですませたりで、ひょろひょろでした。中国の大学生は日本の大衆化した大学生よりもエリート意識が強いでしょうから、朝も早く起きて戸外で勉強したりし、朝から肉の入った油こいものをしっかり食べてるでしょうから、エネルギーが違うのかなあと思いました。

 地方の女性たちは貧困から抜け出すために日本人との結婚にあこがれるでしょうが、生活が豊かで学歴の高い中国人女性はこのブロガーのように日本人男性をみている女性が多いのではないでしょうか。考までにお読みください。


 (以下引用)
 数多くの中国人女性が日本人男性と結婚している。日本人男性に嫁ぐ中国人女性は増加の一途をたどっており、01年以来、毎年1万人を超えている。このブログは日本に滞在する中国人が日本人男性を恋の対象として見れるかどうか、本音を綴ったものである。以下はそのブログより。
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  日本にいる中国人女性が彼氏を探すとしても、日本人男性を対象に出来ないのはなぜだろう。日本に来る前に祖父から「日本人と付き合ってはいけない」と諭されたが、これについては心配する必要はない。歴史問題などを考慮せず、なぜ日本にいる中国人が彼氏を探そうとする際に日本人男性を対象とすることができないか、理性的に分析してみたい。

  まず一点目は、多くの日本人男子学生はあまりにも痩せすぎていて、不健康そうに見えるということだ。筋肉もなく、まるで病人のようである。おそらく日本人男子学生の食べる量と関係があるのだろうが、私は男性であれば大口を開けてがつがつ食べる人が好きだし、この点に関して中国人男性の勝ちである。

  次に日本人男子学生は細かく、けちであるということだ。私がアルバイトしている日本料理屋では、日本人男子学生は勘定の際はほとんどワリカンで、たとえ女性と一緒に食事するときでもそうである。

  そして、仕事をしている日本人男性はあまりに卑屈であることも理由の一つである。この点に関しては、日本に滞在している全ての外国人が同意するのではないだろうか?ある時、私が住んでいる部屋で水周りのトラブルが発生したことがあった。不動産屋さんに連絡を取ったところ10分で駆けつけてくれたのだが、部屋に入るなり平謝りで、あまりにも気を使いすぎると感じた。その後、不動産屋の男性は自らうずくまって床板をはずし、下水管の詰まりを取り除いてくれたのだが、これはスーツと革靴をはいている人間のやることだろうか?トラブルが解決するまで彼はずっと謝罪の言葉を口にしていて、それは彼が私の部屋を出て行くまでずっと続いたのであった。

  彼のような人を日本語では「社会人」というらしいが、ただ単に社会に埋もれて働く人に過ぎないと思う。それにしても日本で社会人を務めるのは本当に大変なことだろう。日本人の自殺率が高いのもこういったことが原因の一つなのかもしれない。

  私はこれまで、自分を高めるために他人を貶める人を多く見てきたが、日本に来てからは他人を高めるために自分を貶める人を数多く見てきた。これが日本人の謙虚さだという人もいるが、謙虚にも度が過ぎれば偽りのように感じるものだ。

  やはり私は日本人男性と付き合うことは出来ないし、この点に関しては韓国人女子学生も中国人女子学生と共通認識を持っている。
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(出典:球球的小日子BLOG意訳編集担当:畠山栄)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0221&f=column_0221_003.shtml
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by damao36 | 2009-02-23 15:38 | 中国語 | Comments(0)

日本の首脳外交、中国の首脳外交

 私はときどきスカパーでCCTVの新聞聯播を見るのですが、だいたいトップニュースは最高指導者たちの動向とか外国元首との接見とかなどです。

 ところで、今年に入って、1月末のダボス世界経済フォーラム年次総会出席に合わせて、中国の温家宝首相はスイス、ドイツ、スペイン、イギリス、そしてEU本部を歴訪しました。温首相はこの旅は「中国が改革開放路線を堅持し、経済発展を促進すること。中国とヨーロッパ諸国における戦略関係を強化し、金融危機を克服するため、国際社会で団結すること。」が目的だと述べ、「自信の旅」になったと語っていました。ただ、サルコジ大統領がダライ・ラマと会談した報復に、フランスは飛び越えて訪問しないいう”強腰”外交でした。

 次に胡錦涛主席です。2月10日から17日まで、サウジアラビアとアフリカの4カ国、マリ、セネガル、タンザニア、モーリシャスを公式訪問しました。資源獲得だけが目的でないこともアピールするため、どの国が資源のない国か私にはわかりませんが、そうでない国も含まれているとのことです。
                 、
 もうお一人。2012年から中国の国家主席就任が予定されている習近平国家副主席です。2月8日から22日の2週間、メキシコ、ジャマイカ、コロンビア、ベネズエラ、ブラジル、マルタと中南米の計6か国を公式訪問しています。
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 さて、この間、1月から2月にかけての日本の首脳外交はどうだったのでしょうか。

 1月11、12日の日韓シャトル首脳会談がありました。1月31日のダボスでの世界経済フォーラム年次総会に麻生首相が出席し、日本の金融危機対策についての講演、そのあとを受けてのG7財務相・中央銀行総裁会議がローマで開かれ、中川財務大臣とIMF専務理事ストロス・カーン氏との間で、「日本政府と国際通貨基金との間の融資取極」が締結されました。その席でストロス・カーン理事は「今回のG7の最大の成果は日本によるIMFへの増資だ。日本による貢献と融資は、これまで人類の歴史で最大のものだ」と日本の貢献に対して最大の讃辞を述べたとのことです。なお、この賛辞は経済成長を続けていながら、なかなかIMFに貢献しようとしない中国への皮肉でもあったそうです。そして2月17日のヒラリー国務長官来日による会談、翌18日のサハリンでのロシア・メドべージェフ大統領との首脳会談がありました。


 でも、国民に伝わってくるのは、ダボスでの首相の原稿読み間違いとか、3度も英元首相トニー・ブレアをトニー・ブラウンといい間違ったとか、はなはだしいのは中川財務相の”メロメロ”記者会見で、IMFのストロス・カーン専務理事の日本礼賛の声は無視されました。ヒラリー米国務長官との訪日は日本が最初の訪問先であったということと麻生総理のホワイトハウス招待というのが成果でしょうか。メドべージェフとの会談はまだロシア領とも決まっていないサハリンにのこのこ出かけ、国益をないがしろにしかねない北方四島返還問題に踏み込んだとの批判の声もあがっています。

 ところで、昨年の今ごろはマスコミもネットも中国関係のマイナス話題でいっぱいでした。偽デズニーに残酷サファリー、段ボール肉まんに少林サッカ。はたまた毒ギョウザ事件に、チベット騒乱。北京オリンピック・ボイコットの聖火リレーの混乱に、6万8千人もの死者を出した四川大地震、そして大仰で口パク歌唱付き開閉会式典の北京オリンピック開催。こうした話題で盛り上がり、本当に退屈しませんでした。

 私もオリンピックが終わったら中国経済のバブルがはじけて一気に動乱、混沌、崩壊へと向かうかもしれないと懸念していたのでしたが、その前に、思いもかけずアメリカの金融バブルがはじけ、世界中が100年に1度の経済大不況になり、「中国崩壊前に米国がこけるとは夢想だにせず」という一文を書いたのでした。
http://lailai-hanyu.at.webry.info/200812/article_13.html

 今年は天安門事件20周年、ダライ・ラマ亡命50周年。中国建国60周年と節目の年でもあり、日本同様、アメリカなど先進国輸入に依存していた中国経済もご多分にもれず大不況にさらされています。失業問題に加えて、食の安全問題や炭鉱事故、地方での動乱などもつづいています。

 でも、肝心のアメリカの方が日本や中国よりも大変らしく、私が日ごろ目にする新聞やテレビではアメリカの困窮ぶりは聞かないので、本当かどうかわかりませんが、「田中宇の国際ニュース」によると、今月1日、米国カリフォルニア州政府は資金調達難からついに支払い不能に陥り、夕張市みたいに財政破綻を宣言したとのことです。そして「加州政府の会計責任者はこの日、州政府の手持ち資金が底をつき、同日に支払われるはずだった州民に対する福祉手当、奨学金、税の還付金など総額37億ドルが支払えないと発表した。支払いを受けるべき人々に対して借用書(IOU)を発行し、いずれ支払い可能になったら払うことになり、州職員の人件費を浮かすため、平日に2日間、役所を閉めることにした」(揺らぐアメリカの連邦制)、そういう状態なのだそうです。

 90年代、李登輝の中国6分割論というのがありましたが、昨年末にロシアの著名な学者(Igor Panarin)が「2010年6-7月に、米国は内乱で6つに分裂する。東部諸州はEUに加盟し、中西部はカナダと合併し、南部はメキシコが、加州は中国がとり、ハワイは日本か中国のものになり、アラスカはロシア領に戻る」というアメリカ連邦の崩壊予測をして話題になったとか。また、昨年10月には米国防総省は、南北戦争以来150年ぶりに、内乱など自国内の有事に即応できる部隊を新設し、国内動乱への備えを始めたとか。本当に本当なのでしょうか。
http://tanakanews.com/090218UnitedStates.htm


 今回のヒラリー国務長官のアジア歴訪、日本との同盟を固めながら、中国との積極的な協力の時代に入り、閣僚級の経済対話の枠組みだけでなく、自らが参加する「戦略・経済対話メカニズム」まで拡大することで原則合意します。どうもアメリカと中国は同じ船の乗客になってしまったようで、アメリカ国債の22.3%を保有する中国がもし崩壊するようなことがあると、アメリカも沈んでしまうのでしょう。とすると、当分中国だけが崩壊することはないということでしょうか。


 そういう国際構造の中で日本が果たす役割を日本の政治家たちは私たちにしっかり示してもらいたいものです。

 昨年11月のワシントンG20で麻生首相はIMFへの1000億ドル(約10兆円)の資金提供を最初に表明したのでしたが、そのことについて国際政治学者の上久保誠人さんは「感謝されても無視される “外交下手”麻生首相の10兆円支援」と評しています。その1文の中から現在の日本外交の問題点と思われる最後の段落を引用して、この項を終わります。

(以下引用)
 近年、訪日する外国首脳が激減していることが気になる。また、同じ会議に出席しながら首脳会談を拒否されるケースも目立っている。G20で麻生首相は、ブッシュ米大統領と会談できなかった。サルコジ仏大統領に至っては洞爺湖サミットで来日していながら、日仏首脳会談を拒否して帰国してしまった。

 これは、日本の首相の政権基盤が脆弱なことを、諸外国が知っているからだ。国内を説得する力のない首相とは、会談しても時間の無駄だと思われているからなのだ。

 強い外交交渉力の源泉は、国内の強い政権基盤である。麻生首相が、外交で得点を稼いで国内の難局を乗り切りたいと思うなら、まず総選挙で権力基盤を固める必要があるのではないだろうか。(Daiyamondo Online)


                    (中川さんローマの夕食会、翌日の昼食会、早退して仲間内で飲み直したらしく、
                     私も白人相手ならきっとそうしたに違いない 白人・英語コンプレックス ネズミ)
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by damao36 | 2009-02-23 10:07 | 政治 | Comments(2)

体感中国語141―日本語の切り取り、中国語の切り取り(2)

 前回は王浩智さんが書かれた『日本語から学ぶ中国語・中国語から学ぶ日本語』(東京図書)を引用して、「日本語は因相を遡る方向に向かう傾向があるのに対して、中国語は行相→果相の方向に向かう傾向がある」という日中語彙の現実からの“切り取り”方の違いを紹介しましたが、それ以外にもいろいろあるようです。

 その違いのもう1つの例として「視点の違い」というのがありました。

 例えば駅の「改札口」、日本語では「改札口」はいつでもそのように言われていますが、中国語はそうではないそうです。遠くから「改札口」をながめていたり、キップをもって通過するとき、それは「剪票口」になります。キップをもって出るとき、それは「検票口」です。

 クレジット・カードも話し手がどこに注目して話をするかによって、いい方が以下のように変わるそうです。

信用卡    所持者の社会的ステータスに注目。
刷卡     読み取り機を通過させるという使い方に注目。
購物卡    買い物という使用目的に注目。
充值卡    利用者とカード会社の決済に注目。
方便卡    使用後の感想に注目。
磁卡     素材に注目。


 王浩智さん、その注目点、視点を「参照点」とも名づけており、その参照点をさらに二つにわけて「外部参照点」、「内部参照点」としています。前者は同種の物を見比べた時の「類似点」で、後者はそれぞれ固有のものである「相違点」のことです。

 改札口とクレジット・カードの例でいうと、前者の「~票口」と後者の「~」が類似点である外部参照点、「~票口」と「~」の前にある語句が相違点を表す内部参照点なのです。


 どうも中国語はある事物、出来事を表現するとき、この外部参照点と内部参照点の二つの組み合わせによって表すことが原則のようです。

 例えば「オリンピック大会」(奧林匹克大會)を省略していうときに、日本語は「オリンピック」とだけいいますが、中国語は「奥運会」と必ずいいます。「」(相違点=内部参照点)と「運会」(類似点=外部参照点)の組み合わせです。

 「口香糖」、「雞尾酒」、「四脫舞」はそれぞれ「ガム」、「カクテル」、「ストリップ」の中国語で、こちらも「~」、「~」、「~」が外部参照点です。


 どうも私たちが使っている日本語の漢字表記というのはこうした視点については無関心で、私もそのような見方があることをはじめて気付かされました。

 例えば「北方四島返還運動」の「返還」、これは「返す、戻す」の意味ですから、ロシアからの視点で、「北方四島を返してあげましょう運動」ととれるとのことです。1997年の「香港返還」、中国の新聞報道では「香港回帰」でした。視点に無頓着で、視点の不連続にも気にかけない、これは日本語が中国語よりもおおらかだという証拠なのかもしれません。こんな例も挙げられていました。

拉致問題    北朝鮮からの視点だそうで、「被拉問題」とするといいとか。でも、これはいいにくいですね。
表彰台      あくまでも賞を与える人の視点。もらう人の視点に立つとき、中国語では「領奨台」。
看板       見る人の視点。中国語は広告を出す人の視点から「招牌」、「広告牌」といいます。
受胎告知    「受胎」はマリアの、「告知」は天使ガブリエルからの視点。中国語は視点統一で「聖母領報」。
利用案内    日本語は利用者と案内者が同一語に押し込められているので、中国語は「参観須知」または「本館要
         求
」。
合格発表    これも合格者と発表者の視点が同一語内に。中国語は「錄取通知」か「發榜」。


 こうして見てみると、,中国語の方が日本語より厳格で正確でよさそうですが、でも世の中、厳格で正確なことばかりではなく、あいまいで漠然としたことも多い、あるいはその方が多いのです。中国語で文をつづる人は、そのようなあいまいな現象にぶつかるときは大いに悩むそうです。例えば殺人事件で「鈍器のようなもので殴った」と日本語では書くところを、中国語は具体的でないと書けないので、「ハンマーで殴った」と、そんな証拠品はまだ出てないのに、記者の思い込みで、そんなウソ記事をつい書いてしまうそうです。

≪蛇足≫
前に「定額給付金は定額還付金が正しい」という文をアップしました。「給付」はお上の目線、「還付」は国民目線という主旨ですから、王さんの「視点論」と同じですね。だれも賛同してくれないので”自画自賛”(自我吹嘘)です。(笑)
http://lailai-hanyu.at.webry.info/200901/article_9.html
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by damao36 | 2009-02-13 16:10 | 中国語 | Comments(0)

体感中国語140―日本語の切り取り、中国語の切り取り(1)

 この世で起こる森羅万象は始めがあり、真ん中があり、終りがあります。きっかけがあり、経過があり、結末があります。仮にこれを漢語で表記すると因相行相果相、簡単に言うとがあるということになります。

 ところで、ISS通訳センター顧問兼主任講師の王浩智さんは、そうしたこの世の現象を切り取って語として表現するとき、日本語はきっかけであるを、中国語は真ん中と終わりのの部分に光を当てて表す傾向があると指摘しています。(王浩智著『日本語から学ぶ中国語・中国語から学ぶ日本語』(東京図書)


それではその具体例を挙げておきます。

入院       中国語は「住院」。もう病衣姿で、病院生活中です。
採血       「験血」。血液を顕微鏡で覗く断片です。
ご臨終です   「過去了」。もう過去の人です。
ふりかけ     「拌飯菜末」。「ご飯に混ぜるおかずの粉末」と具体的です。
はさみ      「剪刀」。「はさんで、切って、分ける」刃物です。
お風呂に入る  「洗澡」。ゴシゴシ洗っています。「温泉に行く」「は「洗溫泉泡溫泉」です。
乳母車      「嬰兒車」。車の中には赤ん坊がいます。

 また、日本語の料理名についても「茶碗蒸し/土瓶蒸し/鉄板焼き/網焼き/赤飯/お浸し」など、中身はまったくみえないとのこと。中国名だと「蒸雞蛋糕/陶壺炖菜/用鐵板煎肉(魚,菜等)/用鐵絲網烤肉(魚,菜等)/紅小豆糯米飯/涼青菜」となり、食材と調理法も何となく推測できます。

 ですから、日本ではテレビで、料理を作ったことのない若い人をつかまえて、例えば「もみじおろし」(蘿卜辣椒泥)を作らせ、見事に失敗するのを面白がる、「噂の東京マガジン」という人気番組がありますが、中国だと成り立ちにくとか。

 あいさつ文の常套語、「近くにおいでの際は、ぜひお立ち寄りください」、コンビニなどに掲げている「警察官立ち寄り所」も因相だけで、には触れていません。これをそのまま中国語に直訳して「有空歡迎來我家」、「警察路過的地方」としたのではイメージ不足で、「違和感を通り越して怪しまれる」とか。「有空歡迎來我家作客」、「本店24小時受警方保護」と訳すべきなのだそうです。

 中国の民間新聞には出会いを求める「徵婚啟事」がよく載っていますが、日本語なら「趣味の合うかた、ぜひご連絡ください」とでもいうくらいのところを、「希望找同道合的男性(女性)為伴共度終身」などと書くそうです。まだあってもいない相手に「一生の伴侶として迎えたい」と最初から宣言しないといけないのなら、私なんかもう最初からもう尻ごみですね。そのせいか、日本の演歌は「」という語が多いけれども、台湾や大陸のホップスは「」と「」という語が圧倒的なのです。

 また、こんな例もありました。

 日本での缶コーヒーのコマーシャル、「できたて」、「いれたて」、という言い方に感心していたら、やがて「挽きたて」、「煎りたて」が現れ、ついには「手摘み豆ブレンド」というのまで売り出されて、王さんびっくりしたとのこと。

 どうやら日本語は因相を遡る方向に向かう傾向があるのに対して、中国語は行相果相の方向に向かう傾向があり、二つの言語のカーソルの方向、違っているところが多くあるのでしょう。

 中国語のダイエットの宣伝文句に以下のような例にがあると聞いて、思わず吹き出してしまいました。

(因)節食→(行)減食→(果)瘦身骨感美


(王さん、「靴下」という熟語を見て、「靴の下は地面じゃないか」と思ったそうです。)
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by damao36 | 2009-02-11 14:35 | 中国語 | Comments(0)

体感中国語139―主語、主題、主格

 遠藤光暁氏は中国語の文の構造を、その著『中国語のエッセンス』(白帝社)の中で以下のように喩えています。

    喩えていうならば、中国語の文は「土星とそれをとりまく環」のようなもので、動詞が「土星」に相当し、
   それ以外の要素はその周りに配された「環」に相当します。(p83)
 
 つまり、中国語文の構成はその中核に動詞が位置し、その前と後に状語と補語、さらにその外側に主語と目的語がとりまいている。ときに、その先頭に状語や目的語が移動して「主題」となる。さらに第三の環として前に接続詞や間投詞、後に語気助詞がくる、そのように動詞が三層の環にかこまれた構造だと説明しています。


 なかなかうまい説明だなあと感心し、それなら日本語文の構造はどうなのだろうかと考えてみました。

 日本語もやはり述語・動詞(形容詞のこともありますが)が中心ですが、その位置は中国語のように真ん中ではなく、最後尾です。主語や連用修飾語(状語と目的語)は全部前で、、日本語には主格とか目的格とか連用格とかを示す格助詞があるので、主語と連用修飾語は必ずしも主語の方がいつも前とは限りません。日本語も「土星とその環」といったロマンチックな喩えはできないかと考えたのですが、「薬箱をかかえた富山の薬売り」、そんな無粋な喩えしか思い浮かびませんでした。その「薬箱」の中身はもちろん主語と目的語を含む連用修飾語です。


 ついでに英語の構造は中国語と同じだろうかと考えてみました。

 考えてみると、英語というのは主語と動詞の結びつきがとても固い、そんな感じがしました。ひょっとして主語の方が上位にあるのではと思えてきました。なぜなら、主語の人称とか単数・複数とかの違いで動詞を変形させる力があるのですから。主語が王子さまで動詞が王妃さま、目的語が家臣の貴族で、つけたしの副詞句は従者たち。ロマンチックに喩えるならば宝塚歌劇の「ベルサイユのばら」なんていうのは、どうでしょうか。


 ところで、主語の概念というのはカナダで日本語教師をしている金谷武洋氏の『日本語に主語はいらない』講談社選書)によると以下の条件が必要なのだそうです。
 (あ) 基本文に不可欠の要素である。
 (い) 語順的には、ほとんどの場合、文頭に現れる。
 (う) 動詞に人称変化(つまり活用)を起こさせる。
 (え) 一定の格(主格)をもって現れる。

 この4つの条件に日本語をあてはめていくと、日本語の主語は「基本文に不可欠の要素」ではありませんし、「動詞に人称変化を起こさせる」こともありません。「語順的には、ほとんどの場合、文頭に現れる」も英語に比べたらずっと融通無礙です。(え)だけはそのとおりなのですが、この主格の格助詞「が」は昭和初期の文法学者の三上章氏によるとその他の格助詞「を・に・と・で」などと同じレベルで、なにも取り立てて「主語」と呼ぶことはないとのことです。つまり、「主格補語」(ガ格)にすぎないというのです。その三上説を継承しているのが金谷氏の「日本語に主語はいらない」です。

 でもガ格に敬意の対象が来たときはその述語部分は敬語表現にするというはたらきもあるなど、いろんな意見があるようで、三上・金谷説はまだまだ少数派でしょう。私も英語の主語とはかなり違っているということを認識した上で、「主語」という用語を使うことにします。


 ところで、中国語のところでも出てきましたが、「主語」に似た言葉で「主題」というのがありました。

 遠藤氏は中国語の主題を「状語や目的語が移動」したものといっていますが、日本語の場合はどうなのでしょうか。日本語もそうなのかどうかは今は私もわかりませんが、ただ日本語の場合は形式上から区別がつくようです。つまり、係助詞「は」のつくものがそれに該当するのです。

 この日本語の係助詞「~は」について日本語教師の金谷氏はスーパー助詞と呼んでいます。この「~は」という係助詞のついている語句は主語ではなくて、「さて、いいですか、~についてのことをこれから話しますよ」という聞き手へのサインだと受け止めるのです。主題の提示ですから、教室では「~は」の後ろに読点(、)を必ずつけるように指導しているそうです。


 中国語には主格というのはなさそうですが、主語と主題はあることでしょう。今後この点をも意識して中国語の文章、読んでみようと思っています。
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by damao36 | 2009-02-07 16:23 | 中国語 | Comments(0)

体感中国語138―主語は既知の情報、だから述語より前です

 遠藤光暁氏の『中国語のエッセンス』(白帝社)を読んでいたら、こんな記述がありました。

     一般的に中国語の主語の位置(つまり動詞の前)に来るのは「既知」のことで、述語の位置(つまり動詞
    の後)に来るのは「未知」のことである、という大原則があります。
 
 そこで私は考えました。

 「」が主語のときは「」は聞く人の目の前にいるのですから、これはもう疑いようもなく既知の情報です。その「」がどうするのか、どうなのかを話し手は述べるわけですから、それは聞き手にとっては未知の情報になるはずです。

 「」が主語の場合はどうでしょうか。やはり述語以下で述べることは「」にとっては未知の情報のはずです。

 第3人称の場合はどうなのでしょうか。聞き手、または読み手にとっては「」または「她」に関する未知の情報が述べられているはずです。

 事物、出来事についても同じに違いありません。

 というわけで、「中国語の主語の位置に来るのは既知の情報、述語の位置に来るのは未知の情報」という遠藤説は正しいのだなあと思いました。


 でも、SOV構文の日本語はどうなのでしょうか。

 遠藤氏は以下のような例文を挙げていました。
         V
      客人来了。
        来客人了。


 この例文、日本語訳だといずれも「お客さんが来ました」となるが、前者は「(来ることになっていた)お客さんが来た。」という意味で、後者は「(予期せぬ)お客さんが来た。」という意味だと、遠藤氏は解説しています。

 ということは遠藤氏の中国語の大原則は日本語には必ずしもあてはまらないということなりそうです。


 そこで思い出したのですが、英語のThere is構文です。よく注意されることとして「There is a book on the desk.」とはいえても、「There is my book on the desk.」とはいえず、「My book is on the desk.」といわないといけないということです。

 これはなぜか中国語も同じで、「在桌子上有书。」とはいえても「在桌子上有我的书。」というのは不自然で、「我的书在桌子上。」というべきだということです。理由は同じで、「my book」「我的书」は既知情報だからです。


 前に「駐車場に私どもの車があります。いきましょう」という文例で、答えが2通りでたことがありました。

  我们的车在停车场, 咱们过去吧。
  Our car is in the parking lot.  Let's go.

  停车场有我们的车, 咱们过去吧。
  ×There is our car in the parking lot.  Let's go.

 後者は間違いだとしていたのですが、でも英語はおそらく間違いなのでしょうが、中国語も間違いなのかというと、ちょっと疑問になってきました。

 「君も知っているあの駐車場には私たちが乗る車が待っている。だから、行こう」と考えたとしたら、中国語の場合は許されるのではないでしょうか。


 “有”構文とか存現文とか、もう一度考え直す必要が私にはありますね。
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by damao36 | 2009-02-06 13:41 | 中国語 | Comments(0)

体感中国語137―補語による否定の表現

 否定表現、日本語は述語の部分の最後に「ない」という助動詞をつけて表します。英語は述語・動詞の前に否定の副詞「not」を置いたり、主語の頭に「no」をつけたりして表します。中国語はどうなのでしょうか。まず考えられるのは、英語のように述語の前に否定の副詞「」、「」などを置く形式です。でもそれだけでなく、中国語の特色の一つだと思うのですが、補語の部分で否定を表すいい方があります。

 中国語の補語というのは英語の補語とは違います。英語の補語は主語や目的語の補足語ですが、中国語の補語は述語の補足です。述語となる動詞や形容詞1語だけでは表わしきれないことを述語の後に加えて補足します。

 例えば以下のようにです。

  (日本語)  する → し終える → しつづける → し終えることができる→するのがうまい    
  (中国語)    做 → 做完   → 做下去   → 做得完        → 做得好 


 それでは補語による否定の表現をまとめてみます。

 まず単なる述語の打消しですが、例えば「しない」といいたいなら「不做」、「しなかった」といいたいなら「没做」と述語の前に否定の副詞を置きます。補語句の場合は、例えば前例の否定表現、「し終わらない→しつづけない→し終えることができない→するのが下手だ」をいいたいなら、これも補語動詞の前に「」をつけることになります。 (「没」の例は見つからなかったのですが、どうしてでしょうか。)
    做不完 → 做不下去 → 做得不完 → 做得不好

 「不做」、「没做」は「」という動作そのものの否定ですが、後の例は「」という動作そのものは行っているので、そういう動作をした結果とか、方向(継続)とか、可能性とか、様態とかがどうだったかというと「」(だめ)だったということです。 (中国語の補語は結果補語方向補語可能補語様態補語の4つに分けられます。)


 以上でおわかりなように肯定表現に「」をつければいいわけですが、特に慣用的になっている補語句としては、以下のようなものがあります。
  -不成、-不出来、-不到、-不得、-不掉、-不定、-不动、-不过、-不过来、-不过去、-不了、
  -不起


 この中で使われている中心語を見ると、前半の「成、出来、到、得、掉、定、动」はその前にある動詞の結果とか様態を表し、後半の「过、过来、过去、起」は方向を示しているということができます。

 それでは上記の慣用的な否定の補語句例文とその訳を挙げておきます。

不成。                              会开不成了。
不出来。                             说不出来
不到。                              走不到车站。
那个人用不得。                          这件事你做不得
这块油迹去不掉。                         擦不掉尘土。
不定明天能去不能去。
不动。                              说不动他。
我怎么也学不过他。                       你信不过我吗?
他的毛病怎么说也改不过来。                 这个桥,过得过来过不过来
不过去。                             听不过去
不了。                              看不了
不起。                              一辈子忘不起您的好意。


(やれない.行けない.行くことが実現しない.)             (会議は開けない.流会になった.)
( 吐き出せない.)                             (言い出せない.)
((そこまで)やれない.)                          (駅まで歩けない.)
(あの人間は使えない.)                          (それをしてはいけない.)
(この油のしみは取れない.)                        (ほこりをふきとれない.)
(あす行けるかどうかわからない.)
(歩けない.)                                 (彼を説得できない.)
(どんなに勉強しても彼に勝てない.)                  (僕を信用できないのか.)
(彼の欠点はどんなに注意しても改めることができない.)      (あの橋は渡って来ることができるか.)
(黙って見すごしておけない.)                      (聞き捨てならない.)
(買えない.)                                 (軽蔑する.)
(食べきれない.)                              (ご厚意は一生忘れません.)
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by damao36 | 2009-02-05 09:41 | 中国語 | Comments(0)

体感中国語136―【不…不…】二つの構文 その2 二重否定の構文

【不…不…】の構文は大きく二つの型があり、一つは「不+用言A+不+用言B」の型で、並列・選択型と私は名づけ、これは前回説明しました。もう一つはというと、それは二重否定の構文です。


この二重否定の構文は「不+助動詞+不+動詞」という形式です。並列・選択型と同じく「不A不B」と簡略して示すと、並列・選択型のは動詞か形容詞でしたが、このは助動詞です。

英語の助動詞は態度表明のほかに、疑問・否定文のときや分詞構文のときに付加・補完の働きをしますが、中国語の助動詞はすべて話し手の判断、意志、願望などの態度を表明します。そのときの態度表明の強さを否定の否定という形式で強調したいい方、それが二重否定の表現です。


それでは中国語の助動詞はどれくらいあるのか、まずはおさらいしてみます。以下の15語ほどです。

  当   得   该   敢   会   可   肯   能   想   要   可以   可能   值得   
  应当   应该


参考までにこの15の助動詞を5つグループに分類してみました。

A 能力・許可   会  可  能  可以  (~できる。~してもよい。)
B 当然・必然   当  得  该  要  应当  应该  (~すべきだ。~するはずだ。~ねばならない。)
C 願望・意欲   想  要  敢  肯  (~したい。~するつもりである。)
D 確実さ      会  得  该  要  能  可能  (~かもしれない。ちがいない。)
F 評価       可以  值得  (~する価値がある。)

この中で二重否定構文として私が見かけるのは「得、该、敢、会、可、能」の助動詞でした。それぞれもとの助動詞の意味からニュアンスに違いはありますが、訳としてはたいてい「…せざるを得ない。どうしても…しなければならない」となります。そのニュアンスの違いを私は以下のように理解しました。

不得不~  周囲の状況からやむを得ずそうせざるを得ない。
不该不~  当然そうすべきことであるから、そうせざるを得ない。
不会不~  他のことは考えられないので、そうせざるを得ない。
不可不~  許されることではないので、そうせざるを得ない。
不能不~  条件が整わないので、そうせざるを得ない。
不敢不~  積極的にやる勇気がないので、そうせざるを得ない。


それでは問題です。

他人の家にお邪魔してかなり時間が経ったので、帰ることにします。そのときに「もう遅いので失礼します」を中国語でいおうと思います。
  时间不早了, 我走了。  It’s getting late. I’m afraid I have to leave now.

友達同士なら上のようにいってもいいのですが、そうでない場合はかなりぶっきらぼうにも聞こえます。何といいなおしたらいいのでしょうか。

「残念ですが、もうお暇する時間になってしまいました」という気持ちを出すためには、ここは二重否定の構文である「不得不」を使って、「时间不早了,我不得不走了」といった方がいいのではないでしょうか。


この他に「」と形容詞や副詞、連語との組み合わせによる二重否定の文も見られました。

不好不~   明天的会是由他开的、我们不好不参加一下子。 (明日の会は彼が開くのだから、我々としても
                                           行かないと都合が悪い。)
不无~    与她不无关系。 (彼女と関係がないわけではない。少しは彼女とかかわりがある。)
无不~    大家无不为之感动。 (みんなこれに感動しないものはなかった。)

莫不~    莫不大笑。 (みな大笑いした。) 
         莫不应有尽有。 (あるべきもので,ないものはない(何でもある)
         莫不争先购买。 (われ先に買わないものはない。)
非~不可   非他不可。  (彼でなければいけない。)
         他很有能力非成就不可。 (彼は非常に有能だから成功するにきまっている。
         非看不可。  (是非見なければならない。)
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by damao36 | 2009-02-03 16:42 | 中国語 | Comments(0)