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体感中国語92―単文、複文、重文を考える

最近はあまり聞きませんが、文の主述の組み合わせから単文、複文、重文というのがあるというのをどこかで聞いた記憶があります。

単文とは主述の関係が1回だけの文、つまりもっとも単純な一文のことだろうと考えました。ならば、複文というのは当然主述の関係が何回か出てくる、複雑な一文であろうと推測しました。

重文というのがわからなかったので、『広辞苑』を引いてみましたら、「主語・述語の関係が成り立つ部分が、対等の資格で結ばれている文。合文。『花は咲き、鳥は歌う』の類」とあり、なるほどと思いました。

念のためにと思って複文を調べてみましたら、以下のように説明がされていました。

主節と従属節から成る文。主節の一部に従属節が含まれている文。」

例として以下の3例が挙がっていました。
1 誰もが雪が降ると思っている。
2 雪が降ると、電車が止まる。
3 雪の降る日は寒い。

上記の例文を中国語訳したもので、文構造を考えて見ました。

1 谁 /都 想/将要 下 / 雪。
  (主 語)    (述    語)   (賓                 語)
                      (述      語)  (賓  語)


2 要是 下/雪、 电车/不 能 开了。
  (状              語) 、  (主 語)     (述          語)
   (述        語) (賓語)


3 下/雪 的 天气/很 冷。
   (主                 語)     (述   語)
   (述 語)  (賓 語)



1は「誰もがみな思っている」の前半部分が主節なのでしょうか。そうだと仮定して、次にみなは「何を思っているのか」というと「下 雪」をという構文です。「何を」の部分は当然賓語で、英語風に言うと名詞節で、この従属節に主述の関係が含まれています。

2は「电车不能开了」が主節で、「要是下雪」は従属節でしょう。この部分は英語なら「どうしてか」の部分で、おそらくは後からの付け足し、オマケの副詞節になることでしょう。日本語は連用修飾節で、中国語は状語と考えるべきでしょうか。この従属節には主語はありませんが、補うとしたら「」でしょうか。ここに主述の関係が含まれているのです。

3は全文の主語の中の一部に「下雪」という主述の関係が含まれ、「下雪的」という形容詞節として「天气」を修飾しています。「下雪的」、こんなのもまた従属節というのでしょうか。

ところで、相原茂氏の『Why?にこたえるはじめての 中国語の文法書』(同学社)と守屋宏則氏の『やさしく くわしい 中国語文法の基礎』(東方書店)を見てみたら、複文の例としてこんな例文が出ていたので、1例ずつ紹介しておきます。

他是中国人、我是日本人。

李刚坐车去、吕萍骑车去。



この例文を見て私が思ったことは、あの『広辞苑』の重文の例文「花は咲き、鳥は歌う」と同じではないのか、これは重文と呼ぶべきなのではないのかということでした。

両書の解説を読んでいくと『Why?』の方は複文には意味的に同じ比重に並ぶ等位タイプと意味の比重がどちらかに偏る編成タイプとがあると書かれており、『基礎』の方も複文には等位複文主従複文とがあると説明されていました。

要するに、文種を単文、複文、重文と3区分するのではなく、日本語文法でも両方の学説があるようですが、わが国の中国語文法界では重文は複文に含める2区分法が主流なのだろうと思いました。私としてはどちらでもいいことなので、文種というのは単文と複文とがあり、複文には等位複文と主従複文とがあると考えておくことにしました。



さて、私がどうして単文、複文の区分にこだわり始めたのかというと、中国語には動詞が2つ、ときにはそれ以上出てくる連動文とか兼語文とかがあるからです。

これも『広辞苑』の説明なのですが、「文」という項目を引くと、日本語文についての説明なのでしょうが、「(sentence)形の上で完結した、一つの陳述によって統べられている言語表現の一単位。通常、一組の主語と述語とを含むが、主語を欠くことも多い。」とあり、その中の「通常、一組の主語と述語とを含む」という個所にこだわるからです。

つまり、中国語の連動文、例えば、「我去方便店买面包。」は述部動詞は2つあっても主語は同一だから主述の関係は1回だけ、だから単文だという考えもわかるのですが、上の文途中に読点を打って、「我去方便店买面包。」の読点を省略した形と見たら、複文になるのではないのか、という疑問があるからです。
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by damao36 | 2008-09-30 15:09 | 中国語 | Comments(0)

体感中国語91ー「名詞+に」が英語では補語 中国語ではどうなる

「誰かが誰か何かVします」というのと「誰かが誰か何かVします」という文型、日本語ではいずれもSV型で、「誰か何か」と「誰か何か」の部分はα、つまり連用修飾語になります。


ところが英語ではどうなるのでしょうか。

 She wrote me a long letter. (彼女は私に長い手紙をくれました。)
B They elected him chairman.  (彼らは彼を議長に選びました。)

Aは第4文型の「S+V+O+O」で、「~に」、「~を」の部分はいずれも目的語です。Bはどうかというと、これは第5文型の「S+V+O+C」になり、「~を」は目的語ですが、「~に」の部分は目的語ではなく、目的語の補語になってしまいます。


それなら中国語はどうなるのでしょうか。英語と同じ文意の中国語で考えてみましょう。

A 她给我一封很长的信。
B 他们推选他会议主持人。

A、Bともにどうも目的語≑賓語になるようです。

英語はきっと「彼を選んだ」、「選んだというけれども一体全体何に選んだかというと、それはchairmanにだ」という発想なのです。つまり、目的語の「him」の足りない状況をあとから補って、「himchairman」なのですよと説明しているのです。

それに対して中国語はどうかというと、「彼を選んだ」、「会议主持人に選んだ」と2つの側面をただ並べて述べているだけで、「彼を何に選んだかというと」といった話し手のつぶやきは言わずもがなととばしているのです。私はそのようにこじつけたのですが、当たっているでしょうか。


もう一つ「会议主持人」を補語と呼べない理由は、中国語には述語となる動詞や形容詞の後に、英語とは違って、その動詞や形容詞の状態程度方向可能数量を補う表現が多くみられるからです。そのような述語を補足する語を中国語では補語と呼んでいるから、英語の補語は目的語にするしかない、きっとそうだからです。


そうすると中国語の目的語というのは英語の目的語とイコールではなく、英語の目的語と目的語補語を含むと考えることになるのではないでしょうか。体感15でも書きましたが、中国語の場合は目的語は目的語といわずに、やはり賓語というべきではないでしょうか。



≪追記≫
中国語の賓語は英語の目的語よりも範囲が広く、日本語で「~」、「~」となる部分だけでなく、「~」、「~」なども賓語に入るのでしょう。高校時代、漢文の授業で、返り点の説明のときに「ヲニト会ったらそこから返れ」といわれた記憶があります。要するに述語の後の名詞、名詞句、名詞節、例え形容詞や動詞句があったとしても「~であること/~すること」と訳せる部分はみんな賓語と考えていいのではないでしょうか。

前回、VOO型だとして例に挙げた「她骂他傻瓜。」(彼女は彼をバカだと罵った。)、英語に直したらVOC型になりそうですが、「傻瓜」はりっぱな名詞ですから、VOO型だと考えたのでした。
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by damao36 | 2008-09-29 08:11 | 中国語 | Comments(0)

体感中国語90―「誰かに何かを与える/もらう」VOO型

「彼に電話をかける」を中国語でいいなさいといわれて、「彼に」は英文法でよく聞く間接目的語で、「電話を」は直接目的語である、だからこの文は二重目的語をもつSVOO文型だと考え、「電話をかける」は「打电话」だと知っていたから、「我打你电话。」と答えました。そしたら、老師は目を丸くして電話機を持ち上げ、私をぶつしぐさをし、ここは「我给你打电话。」というのですと訂正されてしまいました。

また、「彼女に本当のことを話す」というのをどういうのかと聞かれて、これもまたVOO文型だと考え、「我说她实话。」と答えたら、これでは「彼女の本当のことを話します。」ととられます。「我向她说实话。」といいましょうと、またまた訂正されてしまいました。

さらに、「王先生は私たちに中国語を教えています」はどういいますかと聞かれましたので、「王老师教我们汉语。」と答えたら、これはその通りですとほめられました。


上記の3つの例文、日本語はいずれも「する」という文型です。でも、中国語の場合ははじめの2つは「α」の文型(αは状語)で、3番目は「」というVOO文型でした。どうしてそのような違いがあるのでしょうか。


合点がいかないので、二重目的語をとる単語にはどのようなものがあるのかと思って調べて見ました。二重目的語をとる動詞はおおきく3つにわけられるそうで、以下のような単語が挙がっていました。

1 「取得する」という意味をもつもの
duō(奪う)      jiè(借りる)     
mǎi(買う) ná(手にもつ)  
piàng(だます)     shōu(受け取る)
tōu(盗む)      zū(賃借りする)   
yíng(勝ち取る)


2 「与える」という意味をもつもの
gěi(与える)      fù(付与する)     
huán(返還する) jiāo(手渡す)    
jiào(教える)     jiè(貸す)
sòng(送る)      mài(売る)      
zhǎo(おつりをさがす)  zū(賃借する)


3 「述べる」という意味をもつもの。
报告bàogào(報告する)  chéng(称する)  
告诉gàosu(教える)        回答huídá(回答する)  
jiào(呼ぶ)    mà(ののしる)
请教qǐngjiào(教えてもらう)   wèn(尋ねる)


このように3つに整理されているのはとてもありがたいことなので、できるだけこの分類表を頭に叩き込もうと何回も眺めていみました。でも、いまだに叩き込んだという自信は生まれないのです。なにかいい方法はないものかと考え、いちおう以下のように考えてみることにしました。


その考えの要点は「取得する」、「与える」、「述べる」という3つの意味が持つ共通点はなにかを見つけることでした。その共通点はAからBに何かが移動するということです。その結果、以下のように考えることにしました。

二重目的語をとるVOO文型というのは「誰かが誰かに何か具体的なこと・ものを移す」という文型で、その「移す」をもう少し言い換えたら「与える」、「もらう」というイメージである。


なんとも平凡な結論なのですが、もう一度VOO文型の文例を眺めてやってください。その際に動詞の部分は○○としてみて眺めてみてください。

よろしかったら、以下の簡単な問題で、VOO文型のVについて考えてみてください。
 
【問題】 下記の( )の中に「a b c d e 告诉 f   」のいずれかの単語を入れて、文を完成させてください。

1 我( )你好消息。 
2 我( )你一百块钱。
3 你( )我这件事。
4 我( )你生日礼物。
5 我( )你一个问题。
6 她( )他傻瓜。


      ↓
      ↓
      ↓


【答え】
1e 2 f 3 c 4 a 5 b 6 d

なお、「告げる」の意味の「告诉」がVOO文型で使えるのに、「言う」の意味の「」は使えないのはなぜか。その理由はわかったようで、まだよくはわからないでおります。
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by damao36 | 2008-09-27 12:32 | 中国語 | Comments(0)

体感中国語89―何かを済ませる“把”構文

中国語の語順については体感77などで「だれかが/なにかが、いつ・どこで、どのように、どうする、(こんなふうに)何かを」というふうになると何回か述べました。

これをさらに修飾的部分を省いた文の骨格だけで示すと、「だれかが/なにかが、どうする、何かを」となることでしょう。つまり、「S+V+O」です。英語の場合は補語も骨格に入っていますが、中国語のは述語のに含めることにします。ついでに日本語の骨格についても触れておくと、日本語は「S+V」です。は連用修飾語の一部で、お飾り部分です。


ところで、「S+V+O」を基本構造とする中国語の中で、「S+把O+V」となる文があります。目的語のを“”という取っ手で無理にの前に持ってきた構文です。ふつう“把”構文と呼ばれています。なお、このは“”によっての前にもってこられたので、中国語の文法成分は配置によって決まりますから、もう目的語ではなく、「把O」という介詞構文の状語(連用修飾語)です。


さて、このように本来は(述部)の後でいうべき(目的語=賓語)を中国人はどういうときに前に持ってきたくなるのでしょうか。「だれかが/なにかが、どうする何かを」という構文をわざわざこわして、「だれかが/なにかが、何かをどうする」とどういうときにわざわざいいたくなるのでしょうか。


それは「だれかが、何かを、どのように すませる/すませた/すませたよう/すませろ」と思うときなのです。

この文の主語は「なにか」という無生物ではなく「だれか」という意志ををもつものでなくてはいけません。いや、自然にそうなるのです。その「だれかが、何かを、どのように済ませる、つまり処置する」と考えたり、感じたりしたときに、中国語では“把”構文を用いて表現する、そのように私は理解したのです。この構文を処置文とも呼ばれているとたいていの文法書に書いてはいますが、もう少し表現者の心理に即した解説がほしい、そんなふうにも感じています。


例えば、今のあなたは中国語をきちんとマスターしたいと思っているとします。その気持ちをもう少し別の言葉で言い換えますと、、「私は中国語が自分のものになるようあらゆる処置を講じたい」ということでしょう。そのような気持ちを中国語で表現しようと思うとき、“把”構文を使えばいいのです。こんなふうにです。

  我把汉语学好。

我学好汉语。」なら、「私は中国語をマスターした」ともとられてしまいます。ここは倒置の表現を使うことで「中国語」が強調され、「私は中国語というものどうしたいのか、マスターしたいのだ」という意味になる、そのように理解されるのです。

この“把”構文の述部は「どのように済ませる」、「こんなふうに処置する」という内容になるのですから、「何かを処置できる」述語でなくてはなりません。当然他動詞が原則で、自然に能動文になります。

また、「どのように」ということは「このような結果になるように」とう意味でもありますから、結果を示す語が当然の後に表れるはずです。つまり、「学好」の「」がそれです。したがって、“把”構文の述部は裸のではなく、必ず付加的要素、結果補語数量補語完了のアスペクト助詞などが付いています。また処理すべき「何か」も当然未知のものではなく、これも自然と具体的な事物になるはずです。


≪追記≫
「他動詞が原則」と書きましたが、形容詞の場合もありました。

例  把我累死了。(とっても疲れちゃった。)

これはどう理解したらいいのでしょうか。一応次のように理解しました。
「(だれかが/何かが)この私を死にそうなくらい疲れる状態に処置した。」

さて、「主語は無生物ではなく意志ををもつものでなくてはいけません」と書いたのでしたが、ここは訂正すべきでしょうか。
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by damao36 | 2008-09-26 07:50 | 中国語 | Comments(0)

体感中国語88―中国語に受身文が少ない理由

森田良行さんの『日本人の発想、日本人の表現』(中公新書)を読んでいたら、「受身的姿勢に日本語と中国語との違いを見る」という項があり、その違いの一つの例として、「病気見舞いに訪れた見舞い客の慰めの言葉」を取り上げていました。

中国人が病院に見舞いに出かけ、入院している人への慰めの言葉として、こんなふうな言い方をするのだそうです。

「やあ、顔色が良くないね。会社のことは私たちでちゃんとやっているから、安心してゆっくり休み給え!」

それに対して、日本人はどうなのかというと、相手をはげまし元気づけようとの心遣いから、以下のように言うに違いないとのことです。

「や、思ったより元気そうじゃないか。君が入院したと聞いて心配したんだ。それに君が休んでいると仕事がとどこおって、皆、困っているんだよ。早く良くなって僕たちを安心させてくれ給え!」


この見舞いの例を挙げて、森田さんは以下のようにおっしゃています。

「たったこれだけの例で結論めいたことをいうのは危険かもしれないが、以上二つの見舞いの例を比較しても、対象である相手中心の客観的判断に徹する中国の見舞い方式に比べ、日本人は、同じ他人の病欠に対しても、それを自分と結び付け、自分らの身に降りかかった問題として受身的にとらえようとする。その結果、自分側中心の判断や意見として述べる姿勢が生ずるものと考える。」(p.134)

また、「雨に降られた」とか「子に先立たれる」、「従業員に休まれてしまった」という日本語特有の“自動詞の受身”の例を挙げて、以下のように説明されています。

「自分とは無関係な『雨』や『子』『従業員』のうえに生じた予期せぬ現象を、己に降りかかった災難として受容する心理が、受身形という“受けの姿勢”を取らせているのである。……(このような“迷惑の受身”は、)他者のうえに生じた予期せぬ現象や行為を己の側から受身的にとらえ、まごつき慌てる心理的な態度といえるであろう。それだけにドライな客観的叙述と違って、その折の己の感覚に飛び込んでくる外の世界の出来事として、はなはだ具体的かつ臨場感に富んだ体験的叙述となるのである。それが日本語だといってよい。」(p.135)


また、森田さんのもとで日中両語の受身表現の対照研究を進めた中国人大学院生の研究では、「同じ文章でも日本語の原文対中国語訳では圧倒的に日本語のほうが受身形の使用率が高い」という結果が出ていたとのことです。

私自身も、日本語は「れる」「られる」を使う受身表現をしょっちゅう使う気がするのに、英語にも結構受動態が散見されるのに、中国語の受身表現“被”構文の使用頻度は少ないのでは、とかねがね疑問に思っていました。

確かに「明らかに目にした状況を傍観者として叙述する」中国語は日本語に比べると受身表現は少なく、“被”構文というのは客観的にそういう事実が発生したときにしか用いないと断言できそうです。

本来自分とは無関係に発生した出来事を己に降りかかった出来事として受け取り、“受けの姿勢”でとらえて表現する、そうした日本人の発想の特質、中国という大陸で生活する中国人にはなかなか気づかれにくいことなのではないでしょうか。


この森田さんの論を読んで、なぜか私は”中国大好き”の福原愛ちゃんが、中国CCTVのインタビューを受けたときのシーンを思い出しました。

司会者から愛ちゃんの家族とお金のことを”しつこく”聞かれて、愛ちゃんがとうとう泣きだしてしまった、あの場面をです。日本人の”受けの姿勢”、受身表現を考える上でまったく関係なさそうなことなのですが、なぜかあの場面を思い出しているのです。
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by damao36 | 2008-09-25 10:45 | 中国語 | Comments(0)

体感中国語87―助詞の役割は何か

英文法では助詞という語を見かけません。当然英語8品詞の中にもありません。配置の言葉とはいえない日本語に助詞が約50種類もあるのは理解できますが、英語と同じ配置の言葉だと思っている中国語にも助詞は10数こはあるので、ひょっとして中国語は似非配置の言葉ではないのかと疑問がわいてきました。

日本語には名詞の世界と動詞の世界をつなぐ9種類の格助詞がある外に、接続詞以外に接続助詞というのも12種類あり、いろんな語についてその語を副詞化する(?)副助詞が15種類、語り手の疑問や感動や強い気持ちを表す終助詞が12種類もあります。


中国語の場合はどうなのでしょうか。

まずは名詞節をつくる de」、形容詞を副詞化する de」、補語を作る「 de」といずれもdeという同じ発音の構造助詞と呼ばれる語があります。


次に、アスペクトという“時のすがた”、“相”、“動態”を示すアスペクト助詞と呼ばれる助詞が3つあります。完了の相を示す「 le」、持続の相の「 zhe 」、経験の相の「 guo」です。

アスペクトについては体感80~82で説明しましたが、もう一度その語の意味を確認するために、私なりの定義を再掲しておきます。

(アスペクトとは)動詞の表現が「ある時点においてその動作・作用・状態が出現したばかりなのか、完了したばかりなのか、進行・継続中なのか、進行・継続しながら今の時点まで来ているのか、これからどうなのか」といったどの時点・段階にあるのか、ということです。

この3つのアスペクト助詞の中で、持続の相の「」については体感82で説明しましたので省き、完了の「」と経験の「」とを簡単に説明しておきます。


私たちは「この映画見ましたか。」と聞かれたら、たいてい「ああ、この映画、見ましたよ。」と答えます。その「見ました」は単なる過去でもあるし、英語の現在完了形「見たことがありますよ」に理解されてもかまいません。そのように私たちはテンスとかアスペクトとかいうものもあるにはありますが、ふつう無関心です。中国人も同じではないでしょうか。

中国語なら、「我看这部电影。」か「我看这部电影。」で答えるでしょう。

」は「~た」でもいいし、「~てしまった」と訳してもよく、つまりはある動作・作用が終わった、完了したという表現です。語り手の眼差しが遠くを見ていっているのか、遠くで起こった出来事が今につづいている気持ちを表しているのかは、そのときどきの場面が決定することでしょう。

それに比べて、「我看這部電影。」はどうなのでしょうか。訳は同じでもかまわないでしょうが、語り手の気持ちとしては「私はそういう経験をもった/もっている」というところに重点がある、そういう違いではないでしょうか。



最後は日本語の終助詞と同じで、文末で語り手の疑問や命令、感動、確認などの気持ち表す語気助詞というものがあります。

英語にも例えば「日本は美しい国ですね」といいたいときに、「Japan is a beautiful country, is’nt it?」と最後に「is’nt it?」といった表現をすることがありますが、日本語の「ね、よ」みたいに文末に一語を加える表現は見かけません。その点、中国語は日本語に似て、いや日本語以上に文末で語気助詞なるものが、語り手の気持ちをダイレクトに、あるいはインダイレクトに表現します。

日本語の終助詞の意味は疑問・反語(か、かしら、の)、感動・強意(な、ぞ、とも、よ、ね、わ、や)、禁止(な)、軽い断定(の、さ)といったところで、付け足しの気分ですが、中国語の場合は疑問変化確認推測・命令感嘆などと文全体の意味を決定するかなりな“権力”をもっています。

それでは「これが使いこなせれば日本人としてはもう十分」と私が考える語気助詞6つを挙げて説明しておきます。

ma 日本語の疑問の終助詞「か」に相当します。日本語の「か」と違うところで
    注意が必要なのは、yesnoの答えを求める是非疑問文にだけつき、疑問詞をもつ疑問文にはつかないという
    点です。疑問の語気です。

ne  質問、詰問調ではなく、相手から答えを求めるときに使います。したがって、「」とは違って、疑問詞疑問文
    などすべての疑問文で使えます。すこし軽めの疑問の語気助詞としておきます。

le    完了・実現のアスペクト助詞と混同しがちですが、文末の「」は変化の「了」といわれています。「我看了
    这部电影
。」は「見ました」、「見たところです」、「見てしまいました」といずれの訳でもいいのですが、気持ち
    としては一番最後の訳でしょうか。「見た」という事態になっているということで、「見ちゃったよ」という感じでしょう
    か。変化の語気助詞です。

de  「是~的」という構文で使われます。「我是坐车来的。」(私は車で来ました)、「这是我的。」(これは私の
    です)というように使われ、「是~的」に囲まれている部分にスポットが当たっている表現です。「車できたノダ」、
    「これはわたしのダ」の「ノダ。ダ」に発音も似ていますが、感じも似ているのではないでしょうか。確認の語気助
    詞としておきます。

ba   「あなたのですか」は「你的吧」、「いいですよ」は「好吧」、「行きましょう」は「走吧」、「安くして」は「便宜
    一点儿吧
」です。なんとまとめたらいいのでしょうか。軽い推測、承認、命令、お願いの気持ちです。ソフトな
    測・命令の語気助詞としておきます。

a   aという母音は一番大きく口を開くからなのでしょうか。日本語も中国語も感嘆の気持ちをこの音は表しま
    す。日本語の場合はなぜか文末では言いがたいのですが、中国語は文末でも自然に発音できます。ただ、前に
    くる母音との関係でaya)、wa)、na)などと変身します。感嘆の語気助詞としておきます。また、
    驚きの気持ちを含む疑問の語気としても使われます。
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by damao36 | 2008-09-23 14:30 | 中国語 | Comments(0)

体感中国語86―介詞は配置固定ボルトである

私は体感73で、英語は「前から限定し、説明したければ後ろに並べる」という大西泰斗先生の言葉を引用し、それなら中国語は「限定も説明も前から。補足は後ろに並べる」であり、日本語は「限定も説明も補足も前から。話し手の判断や気持ちは述語に付属語をつなぐ」と述べました。

この中の「限定」、「説明」という語は似たような言葉で、大西先生がどのように定義して使っているのかはわかりませんが、私は一応以下のような意味だと考えることにしました。ついでに「修飾」という語も私なりの定義しておきます。

限定:英語だと前の動詞、中国語や日本語だと後ろの述語に枠をはめること。述語の意味は変質する。いわば化学的
    な変化である。
説明:英語だと前の動詞、中国語や日本語だと後ろの述語にある状況・条件を加えること。述語の意味は変質しない。
    いわば物理的な変化である。
修飾:「限定」や「説明」が文のカナメである述部のウゴキ・タダヨイを制限したり、状況・条件を加えたりするのではなく、
    名詞の世界を飾り立てること。


ところで、説明をするということは一体何についてどのようなことをすることなのでしょうか。それは、主語が述語によって述べられようとしているときに、そのコトガラの状況や条件をより具体的に示すために追加される表現部分、そのように理解していいのではないでしょうか。

「そのコトガラの状況や条件をより具体的に示すために追加される表現」のつなぎの言葉として、日本語では格助詞というものがある、そのように思うのです。なお、「話し手の判断や気持ち」は日本語の場合は助動詞と助詞で、その助詞は格助詞と接続助詞を除いた副助詞と終助詞が微妙な気持ちを述べるはたらきをする、そのように理解しました。


それなら中国語はどうなのでしょうか。

「そのコトガラの状況や条件をより具体的に示すために追加される表現」、多くは時間詞とか場所詞などの場合は裸の語・句のままでいいのでしょう。しかし、一般名詞の場合はそれが状況・条件であることがわかりづらいので、こうした名詞の前にこれはこのような意味で述語に説明を加えるというマーカーをつける、それが中国語の介詞(前置詞)なのでしょう。

「コトガラの状況や条件」を説明する語句と述語とをつなぐのですから、日本語と同じく<つなぎの言葉>といってもかまわないのですが、日本語の場合は名詞のあとに“のりしろ”部分としてこの名詞<つなぎの言葉>助詞がくるので、<つなぎ>と呼んだのでしたが、中国語や英語の場合は名詞の前にあって、ここから後が述部に関する「コトガラの状況や条件」であるという、いわば“交通標識”みたいなものですから、あえて区別して、こうした介詞(前置詞)のことを<配置固定ボルト>と名づけてみました。


それでは主な介詞を挙げておきます。 

①≪時間・空間≫
 ~から~する(~ている)    cóng
 ~で~する(~ている)     zài  
 ~に向かって~する(~ている) xiàng wǎng  
  
②≪対象・目的≫
 ~に対して~する(~ている)  duì
 ~に関して~する(~ている)  关于guāyú
 ~と~する(~ている)      gēn 
 ~に~する(~ている)      gěi
 ~を~する(~ている)      
 ~に~される(~されている)  jiào
 ~によって~する(~ている)  bèi
 ~に比べて~する(~ている)  

③<原因・理由> 
 ~ために~する(~ている)    wèi     为了wèile
 ~ので~する(~ている)     因为byīnwei 由于yōuyú
 ~に基づいて~する(~ている)  ān 按照ānzhào    yī    依照yīzhào  zhào  根据gēnjù

④≪比較≫
 ~にくらべて~である       
 ~と(くらべて)~である     
 ~と(くらべると)~である    

⑤≪受身≫
 ~に~される           被    叫   让
  ≪使役文≫で用いられる「被・叫・让」(~に~させる)は動詞でとして扱われています。
  しかし「叫・让」の2語は「~に~される」と受身にも用いられ、その時は介詞として扱われています。なぜなのでしょうか。   

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by damao36 | 2008-09-22 11:00 | 中国語 | Comments(0)

体感中国語85―格助詞は中国語と英語でどう表現するのか

 配置の言語である英語には助詞という品詞はありません。同じく配置の言語だと思っている中国語はというと、約50種類もある日本語ほどではありませんが、20種類ほどの助詞があります。

 英語に助詞がないのは、主格や目的格、補語格は語句の配置で決まるということと、つなぎの語として日本語にはない前置詞が助詞の役割を担っているからではないか、とまずはそのように推測しました。

 英語がそうであるなら、同じ配置の言語である中国語も、日本語のガ格、ヲ格、ニ格は配置が担当し、その他の格は英語の前置詞に当たる介詞が担っていると考えたのですが、そうであるかどうかを確認するために、日本語の格助詞に該当する中国語や英語にどのような語・句があるのか、辞書で調べてみました。

 日本語の格助詞は学校文法では11種類ほどあるのですが、外国語としての日本語文法での通説はどうも「が、を、に、と、へ、から、より、まで、で、」の9種類のようなので、この9種類を、ただし「が、を、に」は英語も中国語も配置が決めるはずということでここはパスし、残り7種類の格助詞を調べました。


「へ」: 往、向、朝、对、到、在、给、正~、正在、(正)~呢、~着呢、~的时候
      to, toward, for, onto, in, into, on, onto

「と」: 和、同、跟、与、跟(和)~一起、成为、变成、当作、定位、归于
      and, or, with, against, as, that, to, into,

「から」:从、由、自、自从、离、由~构成(组成)、用、以、跟、向、从~起、由于、因为、根据、被、
     为~所、起码、在、~以上

     from, out of 0, off, at, through, in  (場所の起点)
     from, after, since  (時間の起点)
      become, since, as, from, for, become of 0, out of 0   (原因・理由)
     from, out of 0, of (原料・材料)
     from, on   (観点・根拠)
     by, from, (動機のもとになる人・物)
      from (順序・範囲などの始点)

「より」:自、从、由、由于、比、较之、甚于、除了~(以外)、只~、由于
      from, out of 0, at, since, than, more A than B, rather A than B[A rather than B]
     would(had) better~, not so much B as A, above, but, except


「まで」:到、至、直到、~程度、到~地步、甚至于、连~都、只是、不过、罢了、完了 算了
     Until, till, to, up to, into, through, throughout, as far, only, just, merely,
     do not need to do, do not have to do


「で」: 在、用、以、乘、坐、骑、拿、因为、由于、有
     at, in, on, with, by, over, through, of, from, for, because of 0, owing to 0,
     on account of 0, due to 0, about, over

 
 予想通り中国語も英語も介詞・前置詞が大半を占めています。あとは副詞、接続詞などですが、中国語は動詞も顔を出しています。でも、中国語の助詞は”~呢、~着呢、被、为~所、不过、罢了、 算了”の数語だけですね。他の助詞はどうなっているのでしょうか。

 日本語を学ぶ外国人は一つの日本語の格助詞にこれだけの母語を準備しないといけないとしたら、とっても大変なことだと思われます。日本語をマスターした外国人はどのようなメカニズムでこうした助詞の用法を身につけるのでしょうか。

 いや日本語のネイティブである私、こんなにたくさん文法的意味をもつ格助詞を瞬時に自由に無意識にあやつるのですから、考えたらすごいのでしょうね。


 なお、格助詞とは何かについて、私は以下のように考えました。

 私たちのまわりにはたくさんのモノとかコトがあります。文法的にはそれは名詞の世界です。そしてそれらのモノやコトがウゴキ・タダヨっています。ウゴキ・タダヨウ世界は動詞の世界です。モノやコトがウゴキ・タダヨっているのが現実の世界です。私たちはその世界を言葉で表現しようとするときはどうするのでしょうか。名詞の世界と動詞の世界を関係づけてつなぐことになります。その2つの世界をつなぐつなぎの言葉、接着剤が日本語の場合は格助詞なのです。その格助詞には文構造の全体にかかわる「が・を・に」と構造の部分だけにかかわるその他とにわかれます。






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by damao36 | 2008-09-21 17:58 | 中国語 | Comments(0)

体感中国語83―進行と持続のアスペクトはどう違うのか

多くの文法書で副詞の「」は進行のアスペクトを示し、アスペクト助詞の「」は持続を示すという説明がなされていますが、私には「物事が進行しているということ」と「物事が持続しているということ」とは同じ感じがして、いまいち理解できないでいるのです。

進行のアスペクトを示す副詞の「」については昨日のブログで考え、おおよそ以下のような結論に私は達しました。

動詞の表す動作には一回の動作だけで終わるものと、ある期間持続する動作とがあります。例えば「テレビをつける」とか「消す」とかいうときの動詞が一動作で終わる動詞で、「学ぶ」とか「食べる」とかいう動詞はある期間繰り返される動作を表す動詞ということになります。

進行のアスペクトを示す副詞の「」は主として後者、ある期間持続する動作持続動詞を限定して、その動作が一定期間繰り返されることを明確にするはたらきをします。動作繰り返しですから、繰り返されて物事が進んでいく、だから文法学者はこの用法を進行と呼んだのではないのか、そういう結論です。英語の進行形に同じと考えてもいいのでしょうか。

これで「看书。」というのは「主語の私は本を読む動作を繰り返しつづけています」、つまり、「私は読書進行中」という意味での「読書しています」と理解しました。



それでは持続のアスペクト助詞といわれている「」はどう理解したらいいのでしょうか。例文「我看。」でまずは考えてみます。


ところで、この「」は一動作だけの動詞なのでしょうか。それとも動作持続動詞なのでしょうか。どうも私には後者の動詞ではないのかと思われます。

ところで、副詞の「在」は主として動作持続動詞を限定すると上述しましたが、逆にいうと一動作動詞は限定しないということでもあります。完全にそういいきれるかわからないので、「主として」としております。

それでは副詞の「」が限定することができない一動作動詞にはどのようなものがあるのでしょうか。それについては以下のように整理しました。

①「是、在、叫、有」など判断や存在を表す動詞
②「知道、明白、认识、感觉、怕、喜欢、愿意」など知覚動詞
③「开始、停止、死、掉」など出現や消失を表す動詞
④「来、去、进、出、过」など去就を表す動詞
⑤ 「站、坐、躺、蹲、放、挂、戴、抱、背、拿、买」など身体動作を表す動詞 (『誤用から学ぶ中国語』<郭春貴著 白帝社>
   に「身体の動作はこの”在”は使えません」とあるので、この項を立てましたが、ひょっとして使える動詞もあるのかもしれません。)


これらの動詞の動作は1件につき1回限りが基本ですが、その動作からもたらした結果とか状態とかは持続させることができます。こういうことを中国語文法学者は持続と名づけた、私はそのように考えました。 (先に「」を私は動作持続動詞としたのですが、この動詞は②か⑤の動詞群に入るのではないのか。もしそうだったら、「」は使えないのに、という疑問が残っています。また、進行とか持続とかはおおよその目安、そんな感じもしています。)

この「」は動作持続動詞にもつきますが、やはり主として上記の一動作動詞につく、と断言できそうです。「」のように動作の繰り返しではなく、動作のもたらした状態の維持・継続なのです。だから、「」は持続のアスペクトを表す助詞になるのです。

我看。」にもどって説明すると、ここは動作持続動詞についてはいても、いうところは動作の繰り返し、つまり読書行為進行中ということに重点があるのではなく、読書という状態がつづいている、読書状態持続中ということなのです。ここはそういう意味での「読書をしています」なのです。

ところで、「読書しながらコーヒーを飲んでいます」という意味を中国語でいうとき、ここは読書動作進行中に次なる動作をしようとしているのか、読書状態持続中に次なる動作をしようとしているのか、そんなことを私も考えたことはありませんが、どうも中国語というのはそんなことが問題になるのですかね。ここは「我看书喝咖啡。」とするのが正しく、「看书喝咖啡。」とはいわないみたいです。


≪追記≫
『誤用から学ぶ』に「意識的に身体動作を行い、目的語がある場合は、動作の進行とは言えますが、状態の継続とは言えなくなります」(p.148)という説明がありました。

看书。」の「看」は身体動作ではあっても、意識的な身体動作だから、持続の「」ではなくて、進行の「」、だからなのでしょうか。中国語、意外とややこしいですね。
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by damao36 | 2008-09-19 12:03 | 中国語 | Comments(0)

体感中国語82―3つの「~ている」

体感79「品詞はどのように決定するのか」で以下の例文を挙げ、動詞、介詞、副詞、補語・動詞という4つの用法をもつ「」について説明しました。

1 我今天。 (私は今日家にいます。) I am at home today.
2 我今天家看书。 (私は今日は家で読書です。) I am reading at home today.
3 看书。 (私は本を読んでいます。/いるところです。) I am reading a book.
4 在上海。  (私は上海に住んでいます。) I live in Shanghai.
そして最後に、こんな感想を述べました。

「さて、ここで疑問がわいてきてしまいました。3と4、いずれも「~している」と訳せそうなのですが、3を「看在」とし、4を「在住」としたらいけないのでしょうか。」


この多義語の「」についてはたいていの文法書にそれなりに説明されていますが、私には一書だけではなかなか納得できず、私が当たった書から私なりに理解したことをまずは整理してみることにしました。

≪「(副詞)+」について≫

この「」は後につづく動詞の動作がつづいているという制限を加えています。ただしその動詞の動作は一動作で終わるのではなく、ある期間存続しうる動作になります。例えば「テレビをつける」とか「消す」とかいうときの動詞は一動作で終わり、その後はその動作がもたらした結果がつづくということになりますが、「学ぶ」とか「食べる」とかいう動作は一定期間繰り返しなされる動作ということになります。この副詞が修飾する動詞は一定期間繰り返しなされる動詞で、繰り返しなされるということは物事が進んでいるということでもあるので、英語の進行形と同一で、文法書ではこの用法を「進行」と呼んでいます。

看书。」の「」もここではちらっと見るのではなく、「本を読む」ことなのですから、「主語の私はそれなりの期間『読む』動作をつづけています。」という意味になり、この用法には主語が意識して何かをつづけているという意味もふくまれているのだそうです。



≪「V+(補語・動詞)」について≫

それなら「」(住む)という動詞も「一定期間繰り返しなされるべき動作」ですから、「住上海。」としてもいいではないかという疑念がわいてきます。

でも、目的語が場所詞である場合は、本動詞のあとに補語としてくっついて、その動作の結果としてある位置に落ち着くということを示すとのことです。

「ベットに横になる」、「椅子に坐る」なんかも「床上。」、「椅子上。」となります。


でも、「私は食堂で食事している」は「食堂吃饭。」とここは介詞の「」で表現し、「我吃食堂。」は間違いなのだそうです。どうしてなのでしょうか。

(どうも中国語の文法、私にはダブル・スタンダードに思えて、混乱するばかりです。)

なお、補語の「」には、例えば「请把行李放这儿。」(荷物をここに置いてください)といった“把”構文などによく見られるとのことです。動作が行われた後に、目的語がその場所にずっと存在することを示した用法です。


ところで、中国語には「看书。」と同じような表現として「我看。」という表現もありました。意味はいずれも「私は本を読んでいます。」なるようです。


今日は、日本語では「~している」と訳す表現として「+V」と、「V+」の2つの在」について自分なりにまとめてみたのでしたが、さらに「V+」という持続のアスペクトを表す助詞の「」があるということで、またまた疑問が深まりました。
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by damao36 | 2008-09-18 17:35 | 中国語 | Comments(0)