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中国人と日本人―運命観の違い

「運命」という単語、中国語の辞書にはなぜか載っていません。「命運」ならあります。同じ漢字文化圏なのに、どうしてなのでしょうか。

私は週に4,5回、運動浴プールや歩行器のある、我が家から歩いて10分内の市の○○○福祉センターなるものに、運動と温泉をかねて出かけるのです。

そこには図書コーナーもあって、全国紙が置いてあるので、全国紙はそこで読むことにしているのですが、「文芸春秋」とか一般書籍も置いてあります。渡辺淳一さんの『鈍感力』もここで少しずつ読んだのでした。いまは浅田次郎さんの『中原の虹』を読んでいるのですが、四川大地震があって、助かった人と亡なった人との差は絶対的で、同じようなところにいても助かった人がおり、亡なった人がいるのは運の善し悪しがその境をわけたのだろうかなどと、テレビを見ながら思ったりしていたのでした。

そういうこともあって、図書コーナーにある池田光さんの『中国運命学入門』(春秋社 2000年)を手にとって読み始めたのです。
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=30748766&introd_id=Xmo46Wkoo3629m9ki81Wi5X86oGX356A&pg_from=u

まだ途中までなのですが、そこに≪集合論的な中国のものの考え方≫という節があり、中国的ものの考え方について以下のように書かれていました。

中国人のものの考え方はどちらかと言えば明らかに欧米人に近い。……まず、中国のものの考え方は非常に集合論的である。集合論と言って分かりにくければ、二者択一的だと言ったらいいかも知れない。たとえば運命学でものを考える場合、吉か凶かは常に絶対的にはっきりしている。……凶と出た人はどうなるのか。……駄目なものは駄目だと言ってそれでお終いである。簡単に言えば、運の悪い人はどうしようもないということにつきる。この厳しさが、これまた日本人が中国の運命学を遠ざけた大きな原因であることは間違いないことだ。 (30ページ)

さらに読み進んでいくと、日本人のものの考え方については以下のように書かれています。

日本人のものの考え方はどちらかというと村的で、みんな仲良く一緒によくなりましょうとでも言いたげである。しかし、中国にあっては、共存共栄など単なる痴人のたわごとだということになってしまう。(32ページ)

好き嫌いは別として、よく考えていただきたい。普通は自分が出世したら、ライバルは取り残される。他人が出世したら、自分は遅れを取る。同時にみんな良くなるなどということは、日本的な幻想に他ならない。妙な古い平等観に取り憑かれている日本人にはお気の毒だが、人間は断じて平等などではないし、この世は不公平に満ちている。中国の運命学はその点をもはっきりと教えてくれる。 (33ページ) 



ところで中国の運命学である四柱推命術では、私たちが考える「運命」なるものを「」と「行運」とに分けて考えるのだそうです。

」とは宿命的なもので、個人のもって生まれた素質、つまり、私たちがもって生まれたもの=なのです。

この「」というものは、その時その時の流れの中にいつもあります。いい流れの時もあれば悪い流れの時もあるわけです。そのような「めぐってくる運気のながれ」、それを「行運」というのだそうです。


わたしたちがいう「運命」という言葉は、訓読すれば「命を運ぶ」ということで、これはどちらかというと「行運」という言い方に近いのだそうです。

まだ読みかけなので、私が理解できているのはこの程度で、≪事故は個人の命とは無関係≫という節を読むと、地震などで命を落としたりするのはただの災難に過ぎず、こうした異常事態にあっては中国の運命学である「命」も「行運」も作用しないとあり、この点はまだ合点のいかないところです。

16日の読売「生死分岐点“72時間”経過 救助作業打ち切りも」の結びの文で、記者は「救助関係者は家族のいない現場では『3日もたつのに、生きているわけはない。……明後日からからは重機を使い、がれきの搬出作業に入りたい』と言い放った」と書いているのも、日本人としてはなにか違和感を感じたからなのでしょう。


そういえばオミクジ、中国ではどこに行けば引けるのでしょうか。日本でも不思議とお寺さんではなく、神社のようです。交通安全祈願とか、受験合格祈願とか、厄払いとか、神道でもない仏教徒の日本人までもが、ことあるごとに神社にお参りしてもろもろのことを祈願しております。どうしてなのでしょうか。

中国人は一体神仏にお祈りするときは何を願ってお祈りするのでしょうか。それとももともとお祈りなんかしない民族なのでしょうか。

ところで、キリスト教とかイスラム教の寺院では、オミクジ売っているのでしょうか。


   (ビルマや中国で十数万人にもの死者が出ているというのに、やっぱり他人事でしかない 薄情ネズミ)
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by damao36 | 2008-05-23 17:07 | 中国語 | Comments(0)

「どうした、日本」

「私にも多くの中国人の知人がいますし、そのうちの何人かとの付き合いは10年以上も続いていますが、個人レベルで嫌いな中国人と出会ったことは一度もありません。」

これは自民党前政調会長の中川昭一さんがソフト・ブレーン社マネージメント・アドバイザーの宋文洲さんと対談した『どうした、日本 中川昭一と宋文洲の不愉快な対話』(ダイヤモンド社2008年4月)の「はじめに」の中での中川さんの言葉です。最後の第7章「日中関係と日本の外交」の中でも、もう少し具体的な同じような記述(250ページ)があります。

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http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-ISBN=4478082685



中川昭一さんというと非核三原則の見直しや中国の軍拡路線を批判・懸念する中国脅威論を唱えるなど、常にタカ派的発言をされて、安倍さんや麻生さんと志を同じくする真・保守主義者の政治家のはずです。ですから、中川さんの中国に対する見方、考え方は石原慎太郎さんのように中国をシナと呼び、そうはいわないまでも、中国についてはことごとく敵対した見方、考え方をされるものと思っていました。その方があの宋文洲さんと対談本を出され、その「はじめに」で上記のようなことを書かれているので、いささかびっくりしました。

宋文洲さんといえば「日経ビジネス」に「傍目八目」という読者の反響の大きいコラムを発表されていた方だそうです。しかし、「シナ人がなにをいうか」というような偏狭愛国主義者のコメントにたまりかね、「中国人を理由に僕を非難する方々へ」を書いて、727ものコメントが集中し、“コラム炎上”と週刊誌でも話題になったとかで、その後は「日経ビジネス」コラムからも辞退をされていました。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070226/119781/

この書の第7章「日中関係と日本の外交」の中から、中川さんの中国に対する前向きのお話をまずは紹介しておきます。

 過去数十年間、中国は経済も政治もめちゃくちゃだったんです。ただし、それだけに怖い国でした。共産主義国ということもあったからなおさらです。そして今は経済的に発展している。日本は、これから衰退するかもしれないし、この先はわからない。
 ただ、中国がおかしなことになるのも日本にとっては困るんですよ。経済的にも、政治的にも。ハード・ランディングでもされて、大混乱になって難民が何百万人も出たりしたら本当に困りますよ。
(256ページ)

 中国が劇的に崩壊して一番困るのはたぶん日本でしょう。それを心配している人も多いですよ。とにかく、ほどほどにやってくれることが一番いいんですよ。 (260ページ)



私は中川昭一さんは日本の政治家の中でも”右”を代表するタカ派政治家のお一人なのですから、てっきり中国崩壊期待論者かと思っていたのですが、このお言葉からすると、どう考えても中国変革期待論者ではないのでしょうか。やはり現実世界に責任を持つ方は、安易に中国の崩壊を願望するなどということはできないのではないでしょうか。


ところで、4月18日に中川昭一さんが会長の自民党の「真・保守政策研究会」が会合を開いて、「中国に対する決議」を採択したそうです。その全文を阿比留瑠比さんのブログから参考までに掲載させていただきました。福田さん、こうした党内の意見も気にしながら、やはりそれなりに胡錦涛さんと会談したのではないでしょうか。http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/547033/

≪参考≫
 チベット問題を契機に、いま世界の眼は中国に向けられています。そのチベットで今も進行中の人権弾圧、民族の文化・言語・アイデンティティへの抑圧、あるいはウイグル等の他の小数民族、宗教者、そして弁護士や知識人等への呵責ない取締りと圧迫等々、その人権状況への懸念と憂慮が高まっているからです。
 今回のオリンピック誘致に当たり、中国政府は自国内の人権状況の改善を世界に向けて公約しました。にもかかわらず、この公約履行への誠意ある姿勢は未だに見られません。それどころか、むしろ人権状況は悪化の一途とさえいえます。
 オリンピック憲章には、オリンピックの目的として「人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励すること」との一項があります。しかし現在、世界の人々の眼に共通に映じている中国の姿は、残念ながらその対極にあるというべきではないでしょうか。
 問題は人間の尊厳だけではありません。われわれは中国のここ数年における異常な軍事力増強にも重大な憂慮の念を抱きます。その増強ペース、内容の不透明性等、それはどう考えても「平和な社会の確立」とは無縁であるからです。
 と同時に、東シナ海におけるガス田開発の推進、先般の冷凍餃子問題に対する当局の不誠実な対応…等々、このような中国の姿勢に対する日本国民の疑念や不信もいや増しに高まっています。
 いま世界の各都市では、オリンピック聖火リレーへの激しい抗議の声が巻き起こっています。また、各国首脳のオリンピック開会式への欠席表明も相次いでいます。われわれはこうした中で、日本国民もまた中国政府に対する重大な懸念と憂慮の念を明確に表明すべきであると考えます。「人間の尊重」に重きを置く「平和な社会」の確立は、われわれが切に希求する目標でもあるからです。
 以下、声明します。

 一、中国政府は現在チベットで進行中の人権弾圧を即刻停止し、メディアの自由な現地取材と国際機関による調査を受け入れるとともに、ダライ・ラマとの事態打開への対話を速やかに開始すべきである。
 一、福田首相は胡錦濤国家主席とのきたるべき首脳会談にあたり、以上の世界とわが国民の中国に対する懸念と憂慮の思いを正確に伝え、毅然たる姿勢をもってとりわけ日中間の懸案打開への中国政府の対応を求めるべきである



                     (「ネコの首に鈴をつける」妙案はあっても、どうやって付けたらいいのか思案投げ首の ネズミ) 
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by damao36 | 2008-05-20 21:10 | 政治 | Comments(0)

私が”右翼”になるとき

平成12年(1999年)に中村 粲という方が作詞した20世紀最後の軍歌「大東亜聖戦の歌」は、あの大東亜戦争は聖戦であったとプラス評価されている方、石原慎太郎さんや安倍晋三さんも入るのでしょうか、そうした方々のお考えがわかりやすく、とてもよく凝縮されていると思い、祝日「昭和の日」のころから、そのようなお考えを少しでも理解しようと、何度も聴いているのです。
http://www.youtube.com/watch?v=9YQYxQMypn0&feature=related

そこで、理解できたことと、もう一つわからないことを、昨日のブログで以下のようにまとめました。(表現多少手直ししています。)

1 人権を尊重する人たちがどうして中国をシナとか中共とか呼び、中国人にシナ人という”蔑称”を使うのかと思っていましたが、”中国”なんていうのは満・蒙・朝・支・疆・蔵族、それに台湾人の国にわかれるべきもので、”中国”なんてそもそも存在しないからなのです。だから、シナ族支配の国はシナと呼ぶのが正しいのです。

2 今度の大戦で我が国は「白禍」、「泰西人」、「洋夷赤露」、「ABCD包囲網」、「米英蘭」とあるように、白人の列強と戦いました。敗れはしましたが、アジア10億の民は「白禍」から解放されて、多くの国が独立できました。残念なのは、共産シナ族がかなりの地域を洋夷に代わって占有・支配し、配下の民族を弾圧・虐殺していることです。だからまだ大東亜の虐げられている人々を解放する聖なる戦いは終わっていないのです。今後はシナ族・中共との戦いになるのです。

3 あの歌を聴いて、私は1と2については理解することができました。いまいち理解できないでいるのは目指すべき大東亜とはどんな世界なのかということです。昔聞いた八紘一宇のことなのだろうか、ということです。



大東亜戦争肯定論をしっかり理解するためには、中村 粲さんの『大東亜戦争への道』(展転社 ・1990年)を読めばきっといろんなことがわかると思うのですが、『資本論』を読まなくたって毛沢東のように共産主義者になるのですから、要はこの歌の文言に共感できるかどうかということでしょう。共感できれば、私も立派な“右翼”に相違ありません。


そこで今日はいまいち理解できないでいる3について、もう少し考えてみることにしました。


まず「大東亜」という単語です。『広辞苑』を引くと、以下のように説明がありました。

東アジア・東南アジアとその周辺地域を指す。十五年戦争中の日本での呼称。

次に「八紘一宇」を引いてみました。

(「宇」は屋根の意)世界を一つの家とすること。太平洋戦争期、日本の海外進出を正当化するために用いた標語。


私も幼年期にすでにこの言葉は聞いております。私が生まれて12歳くらいまで住んでいた満洲の通化。戦後60余年の間、日本のマスコミでほとんどその名を聞いたことがなく、私もまた中国には十数回出かけたのに訪れていないこの街。だからもう消滅してしまっているのではないかと思っているのですが、そこにも神社があり、忠霊塔があり、この字が刻まれていました。


私は私なりに辞書の解釈を敷衍して、この言葉を以下のように言い換えてみました。

太陽(ひのもと)から発する光が、あたかも大地の方につなを張るように放射線状に射して()、その光に照らされた大東亜地域は大きなつの屋根の下にある、そんな宙の建設をめざそう。


「太陽(ひのもと)」はもちろん我が大和民族の住む日本のことです。万世一系の天皇家をいただく「とよあしはらのみずほの国」のことです。このイメージはあの朝日新聞社旗に似た「軍艦旗」、あるいは「旭日旗」というのでしょうか、あのイメージを、日本を起点に南と西に無限に、といっても南は赤道直下あたり、西はチベットあたりまでひろげていくのです。日の本の光(日本国がもつすばらしさ)が届くところまで広げていくのです。それが私たちの先人が夢見た大東亜共栄圏、八紘一宇の理想の世界なのではないでしょうか。私たちも目指すべき大きな目標ではないでしょうか。

だから、真の愛国者である日本人は旭日旗を掲げ、「大東亜聖戦の歌」という新しい軍歌を高らかに歌うのです。


  (私も街宣車に乗って叫んでみたい、そんな気もするけれど、これってあのシナ人の中華思想”とどう違うのか
  またまた愚問のネズミ)

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数年前、私の好きなヴィッキー・チャオ(趙薇)は、不覚にも「軍艦旗」ファッションを披露し、”売国奴”と非難された、そのときの写真。

このファッションを見て、美しいと感じたら・・・・・・・・・・・あなたは”ウヨク”です。
このファッションを見て、醜いと感じたら ・・・・・・・・・・・あなたは”サヨク”です。
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by damao36 | 2008-05-11 21:26 | 政治 | Comments(0)

「大東亜聖戦の歌」と「大東亜決戦の歌」

今年の「昭和の日」にたまたまテレビで「異国の丘」を聞いて、≪昭和の日―「異国の丘」が懐かしい≫(4/29)を書き、それがきっかけで幼少年期に耳にした軍歌や満州国時代の歌をYou Tubeで集め、≪「昭和の日」に軍歌を歌う≫(5/01)、≪満州想えば 曇りがち≫(5/03)を書いて、あれからときどき集めた歌を聴いてなつかしんでいるのです。

ところで、戦前の軍歌だと思って集めていた曲の中に、平成11年(1999年)に中村 粲という方が作詞し、高澤 智昌という方が作曲した「大東亜聖戦の歌」という戦後に作られた軍歌が入っていました。Wikipediaによると「自称、二十世紀最後の軍歌」だそうです。

その歌を何度も聞いてると、右翼の方々のおっしゃるお考えがとてもよくまとめられ、凝縮されているなあ、と思いました。そこで中村 粲という方を調べてみましたところ、この方の代表作は『大東亜戦争への道』だそうで、「(この書)は、600ページを超える大著で、平成8年( 1990年)の刊行から十五年以上経た現在もなお版を重ねており(2006年10月、14刷となる)、大東亜戦争肯定論支持者の間では特に重要な書籍と位置づけられている」とのことです。私はまったく存じていませんでしたが、とても有名な方なのですね。本職は大学の英語の先生で、和英辞典の編集・執筆とか日本史資料の英訳など、英文学者としての業績も多数あるそうです。


それでは、音楽を聴きながら、歌詞を味読・精読してください。
http://www.youtube.com/watch?v=9YQYxQMypn0&feature=related

1.  黒竜江の流血に 二十世紀の東洋は
   妖雲の下明けゆけど 支那は眠れり朝鮮も
  白禍の脅威夢の中

2.  四百余州と大八洲 共に睦みて栄えんと
 声励ませど耳貸さず 泰西人に阿りて
 支那は亜細亜を忘れたり

3.  満漢侵す露を討てと 皇師は進む鶏林を
 はた黄海の波分けて 旅順奉天対馬沖
 屠れる敵は幾万ぞ

4.  萎えゆく東亜救はんと 差し伸ぶ手をば逆恨み
 洋夷赤露の威を恃み 我を蔑する支那なれば
 満蒙の地嵐呼ぶ

5.  広袤千里満洲は 扶餘高句麗の昔より
 兵争絶ゆる暇なきが 大同協和の国建ちて
 興安嶺に光さす

6.  銃声響く盧溝橋 隠忍の我侮りて
 抗日叫ぶ蒋と毛 わが喉元に刃擬す
 ABCD包囲陣

7.  遂に来れり決戦の 火蓋切つたる真珠湾
 シンガポールもフィリピンも ジャワも一撃なびき伏す
 米英蘭は跡もなく

8. わが皇軍の進撃に 凱歌は上る大東亜
白き鉄鎖を断ち切りて 十億の民起つところ
    山河新たに生命あり

9. 満蒙支那に南溟に はた朔北に山ゆかば
草むすかばね海ゆかば 水づくかばねと若きらが
いゆき捧げしその命

10. 四歳に亘る勇戦も 衆寡敵せず皇軍は
矢弾盡き果て花と散る されど揺がず大亜細亜
独立の意気天を衝く

11. 武運拙く敗れしが 見ずや亜細亜のこの歩武を
   一髪土に残らずも 嗚呼大東亜聖戦の
   誇は高しわが心


私は最初どうして「大東亜聖戦の歌」と「大東亜決戦の歌」という二つのまぎらわしい歌があるのか、不思議でした。でも、歌詞を読み比べてみて、中村先生は特に下に掲げた「大東亜決戦の歌」の歌詞のゴチィ部の意味を、さらに敷衍してはっきりと説明し、大東亜戦争肯定論をわかりやすく説明されたのだと、合点がいきました。

それでは大東亜戦争開戦直後に発表された「大東亜決戦の歌」もお聴きください。
http://www.youtube.com/watch?v=3lXC6x7v2cw&feature=related

1  起つや忽ち撃滅の かちどき挙る太平洋 
   東亜侵略百年の 野望をここに覆えす いま決戦の時きたる

2  行くやはげしき皇軍の 砲火は叫ぶ大東亜
   一発必中肉弾と 散って悔いなき大和魂 いま尽忠の時きたる

3  見よや燦たる皇国の 歴史をまもる大決意 
   前線銃後一丸に 燃えて轟くこの歩調 いま興国の時きたる

4  いざや果さん十億の アジアを興す大使命 
   断固膺懲堂々と 正義貫く鉄石心 いま決戦の時きたる



(人権を尊重する人たちがどうしてシナという”蔑称”使うのかと思っていましたが、”中国”なんていうのは満・蒙・朝・支・疆・蔵族、それに台湾人の国にわかれるべきもので、”中国”なんてそもそも存在しない。だから、シナ族支配の国はシナと呼ぶしかない。そういうお考えなのだと、はじめて理解できた ネズミ)

(今度の大戦で我が国は「白禍」、「泰西人」、「露」、「ABCD包囲網」、「米英蘭」と戦い、敗れはしたものの、アジア10億の民は「白禍」からは解放された。なのに今度はシナ族が大半を占有・支配し、配下の民族を弾圧・虐殺している。今はシナ族との戦いなのだ。そういうお考えなのだと、はじめて理解できた ネズミ)

(でも、まだ大東亜ってどんな世界になるのか、八紘一宇のことなのか、そこがよく理解できていない ネズミ)



≪蛇足≫
中国のサイトにも、この歌詞を中国語訳して紹介している人がいました。私と同じ暇な人、中国にもがいるのですね。

1.  黑龍江在流血 二十世紀的東洋啊
  被妖雲所遮蔽 支那和朝鮮正在沉睡
  沉睡在白禍(白人之禍,帝國主義)的威協中

2.  支那與日本啊 和睦相處求和平
   但在西洋人的挑撥離間與鼓舞之下
   支那人忘了亞細亞

3. 討伐侵略滿洲與中國的俄國 皇軍進了朝鮮
在黃海的波浪中 旅順奉天與對馬海峽
打敗了數萬的敵人

4. 拯救萎靡的東亞 對於我們伸出援手的恨意
挾帝國主義與共產黨的餘威 篾視我們的支那啊
在滿蒙掀起了波浪

5. 廣袤萬里的滿洲啊 過去是扶餘和高句麗的土地
在連年的戰爭之下 建立了大同協和的國家
在興安嶺綻放光芒

6. 盧溝橋的槍聲響 隱忍的我們不再忍耐
  以抗日為口號的蔣與毛 將刺刀描準了我們的喉嚨
建立了ABCD包圍網

7. 直接來到了決戰 被火網掩蓋的珍珠港
新加坡和菲律賓 爪哇也一戰降伏
米國英國和荷蘭都消失無蹤(跑路了)

8. 在皇軍的進擊下 唱起凱歌的大東亞
切斷白色的鎖鍊 激起十億的人民
給予山河新生命

9. 滿蒙支那到南洋 到了北方的山邊上草原
和到了海邊行軍 都可以看見為聖戰犧牲的將士們

10. 連續四年的勇戰後 寡不敵眾的皇軍啊
彈盡援絕如櫻花四散 但仍然不動如山的亞細亞
產生了衝天的獨立意志

11. 武運不濟而失敗了 看見了亞細亞的戰果
即便什麼也沒剩下 啊啊 我們還是要有以大東亞聖戰為榮的心



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by damao36 | 2008-05-11 07:43 | 政治 | Comments(1)

日中戦争は第〇次アヘン戦争

偶然図書館で手にした船戸与一の『風の払暁 満州国演義Ⅰ』(新潮社2007)を読んで、満州馬賊の中に日本人が多数いたことに驚いたのですが、この連休は佐野眞二さんの『阿片王 満洲の夜と霧』(新潮社2005)を読んで、日中戦争は日中アヘン戦争だったのかと知って、またまたびっくりでした。

佐野さんのノンフィクション、でたらめではないかとネットなどで調べてみたら、、『日中アヘン戦争』(江口圭一・岩波新書1988)とか、『其の逝く所を知らず』(西本正明・集英社2001)とかいう本が多数出されていて、Yahooで「アヘン 日中」というキーワードを入れて検索したら、約145,000のヒットでした。


中でも、どなたのホームページかわかりませんが、「新聞の嘘」が詳しく、以下のような記述がありました。http://mailsrv.nara-edu.ac.jp/~asait/kuiper_belt/KuiperBelt.htm


英語版の Wikipedia ではアヘン戦争のことを
1.第一次アヘン戦争 (1839-1842), 中国と英国の間の戦争
2.第二次アヘン戦争 (1856-1860), 中国と英国、フランス、ロシア、米国の間の戦争 (但し、米国、ロシアは軍隊を派遣しなかった)
と書いています。日本語の Wikipedia では第一次アヘン戦争を単にアヘン戦争と呼び、第二次アヘン戦争をアロー戦争と呼んでいます。

さて第二次アヘン戦争からしばらくして、日清戦争 (1894-1895) の結果、下関条約が締結されます。これには台湾などの領土に関することがありますが、関連して締結された通商条約では日本はアヘン戦争の勝利国と同じ立場を得ることになりました。これは英語版の Wikipedia に書かれていることです (Treaty of Shimonoseki - Wikipedia)。つまり日本は中国に自由に麻薬を持ち込めるようになったのです。少し考えてみればわかることですが、戦勝国の日本が中国と条約を結べば、それは、それ以前の条約 -- アヘン戦争の勝利国と中国が結んだ条約 -- の類似となるのに決まっています。これは当たり前です。

当然のことながら日清戦争以前から (ヨーロッパ各国の真似をして) 日本は中国、朝鮮、台湾にアヘンを密輸していたはずですから  「日清戦争」を第三次アヘン戦争と呼ぶほうが事態をより正しく理解できると思います。

中国の側から見れば、19 世紀から「アヘン戦争」が繰り返し、何度も勃発し、第二次大戦が終了するまで続き、当初は対戦国がヨーロッパの国であったものが、そのうち日本だけになってしまったと考える方が理解しやすいと思われます。日本史の教科書には日清戦争や日露戦争を日本の現代化の中に位置づけていますが、当時の日本人が日本の現代化を達成できたと考えた理由は「ヨーロッパの国々と同様に日本も中国をアヘンで食い物にできるようになった」 からなのです。



さらにJohn G. Robertsという人の『Mithui: Three Centuries of Japanese Buisiness,』(訳,「三井:日本のビジネスの3世紀」1991) から以下の文をい引用しています。

星野により設立されたアヘン専売局により、アヘンは満州国政府の重要な収入源であった。それに先立つ 100 年前の中国の別の場所で英国がしたことの例にならい、関東軍は社会の抵抗を弱めるためにアヘンを使用し、更に満州国と中国の占領地で意図的に麻薬中毒を奨励した。

新たに麻薬中毒を作る方法はモルヒネを含んだ薬の配布、あるいは人気のあったタバコ「ゴールデンバット」の特別仕様 -- 吸い口に少量のヘロインを含んだもの -- の配布であった。これらの色々な麻薬は、三井やそれ以外の商社がきわめて合法的にアヘン専売局に提供していた。その結果不幸な犠牲者に幸福感をもたらすとともにニキサンスケの悪党たちにも幸福感を与えることとなった。なぜなら、これにより年間 2000万円から3000万円の収入が得られ、満州国の産業開発の資金源となったためである。


ここに出てくるニキサンスケ(弐キ参スケ)とは満州国に強い影響力を有した軍・財・官の5人の実力者のことで、そのメンバーは東條英機星野直樹鮎川義介岸信介松岡洋右のことで、その名前の最後の呼称からそう呼ばれています。特にそのうちの鮎川義介、岸信介、松岡洋右の3人を満州三角同盟と呼ぶのだそうです。

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これが、満州における麻薬の下部組織を統括する中枢であったようです。すなわち、日本軍の支配する満州における麻薬の流通組織は今日の広域暴力団とよく似ており、その中枢が「ニキサンスケ」であったわけです。

冷静に考えると「暴力団」と「軍隊」の間の垣根が低く、「政府」と「暴力団」の垣根も低い非常に異常な世界です。「軍隊」や「政府」の発想も「暴力団」にきわめて近く、むしろ国ごと広域暴力団であったと言ったほうが的を得ているような世界ではないでしょうか ?

日本が占領した「他のアジア」の国でも麻薬の専売制があったことから判断をすれば、「大東亜共栄圏」とは実のところ「アジアの人々をヤク漬け」にすることを目標としたものであったことになります。




ところで、安倍晋三元首相、人権問題に一番力を入れられておられる政治家ですが、おじい様の麻薬による資金集めの事実、御存じなのでしょうか。ご存じなので、人権問題に特に力を入れておられるのでしょうか。


            
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by damao36 | 2008-05-11 07:20 | 中国語 | Comments(0)

中国変革期待論者か、中国崩壊期待論者か

5月4日のサンデー・プロジェクト≪日中激論 チベットもギョウザも≫は、田原総一郎さんと岡本行夫さん、田中均さんお三人が、中国中央テレビキャスターの白岩松さん、元駐日大使の徐敦信さん、中国外交学院院長の呉建明さんを相手に、日中懸案の問題を“本音”で討論する番組でした。

中国でも放送されるとのことで、「事前には触れないでほしいといわれていた問題も話題にしたが、打ち切りにならなかった。オリンピック開催前ということもあろうが、以前に比べると中国の透明度は高まってきている」といった解説を田原さんはされており、日本ジャーナリズムの最近の訪中が中国言論の自由化を一歩進めた」、と”自画自賛”されていました。


幸いその内容を団塊お嬢ジョニー(秋桜)さんが「サンデープロジェクト・日中激論in北京、を見て。」ということで、ほぼ完璧にまとめておられ、大変参考になります。
http://akiyochan.at.webry.info/200805/article_3.html


さて、この番組については、私も前回のブログ「胡錦涛訪日 朝日と産経社説」で、以下のように少しだけ触れてみました。

私にはまあまあ見ごたえある内容でした。田原総一郎さん、岡本行夫さん、田中均さんではなく、中嶋嶺雄さん、宮崎哲弥さん、勝谷誠彦さんだったら、k1なみにもっとおもしろかったのかなあとも思いました。

ところでどうして私は「田原総一郎さん、岡本行夫さん、田中均さん」ではなく、「中嶋嶺雄さん、宮崎哲弥さん、勝谷誠彦さんだったら、k1なみにもっとおもしろかった」などと書いてしまったのでしょうか。


それは最近の中国論を読んだり聞いたりしているうちに、私は論者をまず勝手に大きく二つに分けてしまうようになっつているからです。

ひとつは中国がオリンピックなどを通して次第に開かれた国へと変革することを期待している人たち、簡単にいうと「中国変革期待論者」です。

もう一つは一党独裁の共産主義の政権なのであるから開かれた国、自由と民主主義の国へと変革することなどありえない、自滅まで待つか、崩壊させるしかないと考えている人たち、つまり「中国崩壊期待論者」です。


岡本さんや田中さんの発言を聞いていると、特に以下の下線部なのですが、お二人はいや田原さんも含めてお三人は、「中国変革期待論者」なのだなあと感じたのでした。(秋桜さんのまとめを引用しました)

(田中)
  これからは東アジアが注目される。その安定が重要である。
  特に、米国、日本、中国が大事である。
  だから、胡錦濤さんの訪日は重要で、新しい出発にしたい
  そのためには両首脳は大局を見て欲しい。
(田中)
  北京オリンピックは成功して欲しい。だから、日本は協力すべきと思う。
  日本も韓国もオリンピックを成功して、民主的発展の道を進んできた。
  同時に、今の聖火リレー、開会式などのあり方など気になる。
  たくさん金メダルをとり、どんどんナショナリズムが燃え盛っていくだろう。
  しかし、中国も国際社会の目を気にして欲しい。チベット問題も同じだ。
  暴力でなく、平和的に解決して欲しい。

(岡本)
  日本にとって、一番大切な国はアメリカだ。安全保障条約を結んでいる。
  中国にとっても一番は、アメリカと思う。
  日本にとって、第二番目に大事な国は中国だと多くの人は思っている。  ところが、中国は二番目に大事な国を日本とは言ってくれない。
  日本は、中国を助ける手段も技術も資源も、ある。
(岡本)
  日中には、歴史認識、靖国、教科書、化学兵器、台湾、東シナ海、
  問題は色々あるが、原因を辿ると、実は、解決不可能な問題ではない。
  高い次元に行こうという意志がなかった。
  今まで、意志が欠如していたということだ。


だから、「中国崩壊期待論者」に相違ない中嶋嶺雄さん、宮崎哲弥さん、勝谷誠彦さんだったら、もっと鋭い討論ができたのではないのかなあと想像したのでした。でも、今冷静に考えると、「中国崩壊期待論者」は胡錦涛来日自体が“物乞い”と思っておられるでしょうから、お互いに話してわかる相手ではないということは明確でしょうから、最初からこんな”茶番”の話し合いなどあり得ないことでしょう。


私はまだ「中国変革期待論者」にとどまっているのですが、相手は自由と民主主義の敵であるとはっきり認識して、その延命を手助けするようなことは一切やめて、中国の自滅・崩壊を待つ、それが日本の正しい選択だと考えを転換させるのが正しいのでしょうか。


     (「厄介な隣家」から火が出ているが、手助けするのが正しいか、燃え尽きるのを眺めるのが正しいか 悩めるネズミ)
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by damao36 | 2008-05-07 12:22 | 中国語 | Comments(0)

”遅れてきた帝国”中国

私は満州で生まれ、国民学校3年生のときに、通化というところで終戦を迎えました。通化は関東軍が徹底抗戦する根拠地にしようとしていたようで、龍泉ホテルという建物が関東軍の司令部となり、私たちの学校は終戦翌日から陸軍病院になり、飛行場には関東軍の航空隊が駐留し、あとで聞いた話ですが、溥儀満州国皇帝も通化省に避難していたそうです。
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ヒゲの藤田参謀という方がいて、その乗馬姿を街で何度か見かけ、少年たちのあこがれでした。でも、翌年の通化事件、2月3日の旧正月の日でしたので、二・三事件ともいっていましたが、その首謀者として捕らえられ、豊泉百貨店の2階でしたでしょうか、国民党のスパイの頭目と並んで陳列され、それを見に行ったことを思い出します。まだ“栄枯盛衰”“諸行無常”なんてコトバ、知らないときでしたが、きっとそんなことを実感したのではないでしょうか。
その後60余年、満州という単語は私の頭の中からほとんど消えていたのでしたが、このごろこの単語が復活してきました。

きっかけは、いま話題の中国のチベット問題です。ネット上でのチベット問題に関する多くの人たちのご意見を伺いながら、私も私なりに意見を述べてみたのでした。

わたしの意見も含めて、だれの意見が正しいのか、8月が終わって、いや1年、2年……と年月が過ぎてみてわかることなのでしょうが、私は私のこれまでのいきがかり上から、どうしても漢族に近い発想をしがちなのです。

どうしてチベット問題が私に満州を思い起こさせるのかということなのですが、それは中国が56の民族を束ねて中華民族は一つという考えが、五族協和の王道楽土を建設しようとして夢見たあの大満州帝国に似ている、あるいはそれにひきつづく八紘一宇の大東亜共栄圏の理念にそっくり、そう思えてくるからです。

今の近代国家はアメリカを除いて、ほとんどが主たる一民族からなっています。ソビエト連邦の崩壊で15の国が生まれました。それでもまだ足りずに、チエチエンとかクルジュアの一部とかで民族独立の火だねがくすぶっています。日本の3分の1の国土で800万人ほどの旧ユーゴは8つの国に分裂してます。イラクもトルコも民族自立の火だねはくすぶりつづけています。イスラエルとパレスチナの紛争も民族問題でしょうか。

エッセイストで中国文学者の高島俊男さん、私は本屋で立ち読みしたのですが、その著作『中国の大盗賊 天下を狙った男たち』(講談社新書、1989)の中で、中国は“遅れてきた帝国”だと“喝破”しておられます。中国共産党を創建したのは北京大学のエリート知識人たちであったが、共産中国を誕生させたのは、伝統的な中国大盗賊の最たる人物毛沢東だとも“喝破”しておられます。毛沢東はフランスに留学する話があったとき、フランスでは大好きなトウガラシが食べられないと聞いて、留学を止めたのだそうです。おそらくはマルクスの原典なんか読んではいない、スターリンがいったそうですが、“マーガリン・共産主義者”に違いないとも紹介しています。でも、他の盗賊たちのように無知無学の単なる権勢家とは違って、毛沢東は中国文人としての教養を深く積んだ人物で、その詞(ツー)はよくできているとも評価しております。

世界は各民族が自決の方向に向かって、最終的にはクリストファー元米国務長官が懸念したように5,000もの国家群に世界は限りなく近づくのか、それともアメリカ合衆国、ユーロ(欧州連合)につづいて、日本が果たせなかった夢・大東亜共栄圏、大中華共栄圏を実現できるのか。これはもうすっかり政治マニアになってしまった私にとっては、スポーツの祭典オリンピクどころでない、目前の最大関心事なのです。

でも、やはり冷静さは必要でしょう。

お隣の”厄介な隣人”のお蔭で、すっかり熱くなった頭を冷やすために、私の親父たちが熱唱した「満州想えば」と「満州娘」、そして「支那の夜」ののどかな歌声、それを聞いてみることにしましょう。そして”過ぎ去りし帝国”に熱い想いをはせることにしましょう。
http://8.health-life.net/~susa26/ikoi/mansyu.html(「満州想えば」)
http://www.youtube.com/watch?v=02X80m_wMbo&NR=1(「満州娘」)
http://www.youtube.com/watch?v=aoqXOS9wOiU&feature=related(支那の夜)


    (やたら幼少期がなっかしくなってきた いよいよ 末期高齢者か と覚悟している ネズミ)
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by damao36 | 2008-05-02 12:48 | 中国語 | Comments(0)

「昭和の日」は軍歌がにあう

4月29日が「昭和の日」となっているのにはじめて気づき、その日のNHK歌謡番組で「異国の丘」を聴き、その日の記録として「昭和の日―『異国の丘』を聞いて」というブログを書きました。

最近You Tubeなる便利なものがあることを知り、ひょっとしてこの「異国の丘」も動画で見れるのではないか、そう思って調べてみたら、ありました。その前後になつかしい軍歌もありました。

そこで、私の好きな軍歌ベスト10をアップしてみようと、時代順にならべてみました。8つまでアップしました。

http://www.youtube.com/watch?v=T3GhA0xmecw&feature=related(戦友・?)
http://www.youtube.com/watch?v=5XXggeAttdw&feature=related(父よあなたは強かった・?)
http://www.youtube.com/watch?v=vn2OgHd99GE&NR=1(麦と兵隊・1938)
http://www.youtube.com/watch?v=lzpjBdxz5io&feature=related(露営の歌・1937)
http://www.youtube.com/watch?v=2CpcztEOSrs&feature=related(愛国行進曲・1937)
http://www.youtube.com/watch?v=7WOVJbs4pOM&feature=related(暁に祈る・1940)
http://www.youtube.com/watch?v=B_YWPf7LGhM(ラバウル小唄・太平洋戦争期)
http://www.youtube.com/watch?v=9hkoI_r3MLM(異国の丘・戦後)


幼稚園生のころに、一生に一度だけですが、みんなの前で一人で歌って遊戯した下の歌、見つかりませんでした。
 ぼくは ぐんじん だいすきよ
 いまに おおきく なったなら 
 くんしょう つけて けん さげて 
 おうまに のって ハイ ドウ ドウ
 



軍歌と行っても、勇ましいのは個人的には好きになれないのですが、でも聞いているとなつかしいですね。
http://www.youtube.com/watch?v=I5rgSB1QkFw&feature=related(嗚呼!同期の桜)
http://www.youtube.com/watch?v=2WufyOlm35o&feature=related(歩兵の本領)
http://www.youtube.com/watch?v=ZMj9qqAoZAs&feature=related(荒鷲の歌)
http://www.youtube.com/watch?v=sSp_BrnJ7rY(若鷲の歌)
http://www.youtube.com/watch?v=QcUHmpgWZMA&feature=related(加藤隼戦闘隊)
http://www.youtube.com/watch?v=X-0PYV7EBkI&feature=related(ラバウル航空隊)
http://www.youtube.com/watch?v=fFJYSHnMM6Q&feature=related(月月火水木金金)
http://www.youtube.com/watch?v=UH3gZlewu7o&feature=related(太平洋行進曲)


なつかしい「満州国国歌」もみつけました。五族協和の王道楽土にふさわしく、ゆったりとした調べで、歌詞も格調高く、なかなかの名曲ではないでしょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=NprDVmFaHU4&feature=related(1933年 作詞鄭孝胥、作曲高津敏・園山民平・村岡楽童合作)
(歌詞)
天地内有了新滿洲
新滿洲便是新天地
頂天立地無苦無憂
造成我國家
只有親愛並無怨仇
人民三千萬人民三千萬
縱加十倍也得自由
重仁義尚禮讓
使我身修
家已齊國已治
此外何求
近之則與世界同化
遠之則與天地同流


                   (近ごろはやたらと過去がなつかしくなる 期高齢者 ネズミ)
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by damao36 | 2008-05-01 18:47 | 社会 | Comments(0)