師弟は”老师走学生也走, 老师跑学生也跑”の関係でいいのか

前回ブログで”日本紧锣密鼓推进中日首脑互访”という記事の中の”亦歩亦趋”という成句は”老师走学生也走, 老师跑学生也跑”という意味だということを知りました。出典は《荘子》の田子方だとのことでしたので、その原文と中国語訳をネットから転載しておきます。顔回はどういうことを孔子に尋ねているのでしょうか。
 
    【
原文】  
于仲尼曰:夫子,夫子,夫子夫子奔逸绝尘,而回瞠若乎后
    
夫子曰:回,何邪?曰:夫子,亦也;夫子言,亦言也;夫子,亦也;夫子,亦
    也;夫子,亦也;夫子言道,回亦言道也;及奔逸绝尘而回瞠若乎后者,夫子不言而信,不比而
    周
,无器而民滔乎前,而不知所以然而已矣
   文】  渊向孔子道:先生行走我也行走,先生快我也快,先生奔我也奔先生脚
     不沾地迅疾
奔,学生只能干瞪着眼落在后面了!孔子回,是什意思
     回先生行走,我也跟着行走;先生说话,我也跟着说话;先生快,我也跟着快;先生辩论
     我也跟着
辩论;先生奔,我也跟着奔;先生谈论大道,我也跟着谈论大道;等到先生快步
     脚不沾地迅速奔跑
而学生干瞪着眼落在后面,是
先生不却能取信于大家,不表示
     却能使情意
遍周所有的人,不居高位、不获权势却能人民像滔滔流水那涌聚于身前,而
     我却不
得先生
够这样

 顔回はどういうことを孔子に尋ねているのでしょうか。それはおおよそ以下のようなことです。
     私は先生と同じように歩き(同じことを復唱し)、小走りし(同じように弁論し)、早足で駆ける(同じよう
   に道を説く)。しかし、先生が”奔逸绝尘”(塵ひとつ動かす暇もなく天馬のように超スピードで動かれる)
   と、私は”瞠若乎后”(ただただその速さに目を見張るばかりで、ぽつねんと後に取り残されてしまう)の
   です。先生の”奔逸绝尘”という行為はどういうことを指し、どういう結果をもたらすのかというと、先生は
   何もおっしゃらっていないと思うのにに人々は信頼し、周囲におもれることなんかしないはずだのに人々
   は親しみを感じ、特段の地位や名誉も持っていいないいのに人々は自然に寄り集まって来る。どうして
   そんなふうな先生がそんな結果をもたらすのか、その理由が私には分からないのです。

 以下にそれに対する孔子の答えが続くのですが、私のような凡人には分かりにくいですね。
 
    【原文】  仲尼曰:,可不察与!夫哀莫大于心死,而人死亦次之。日出方而入于西,万物莫
    不比方
,有目有趾者,待是而后成功,是出存,是入亡。万物亦然,有待也而死,有待也而生
    吾一受其成形
,而不化以待尽,郊物而,日夜无隙,而不知其所,薰然其成形。知命不能乎其
    前
,丘以是日徂。吾身与汝交一臂而失之,可不哀与!女殆著乎吾所以著也。彼已尽矣,而女求
    之以
有,是求于唐肆也。吾服女也甚忘,女服吾也亦甚忘然,女奚患焉!忘乎故吾,吾有
    不忘者存。

    【文】  
孔子不加!悲哀没有比心的僵死更大,而人的躯体死亡
    次一等的。太
方升起而没于最西端,万物没有什不遵循一方向,有眼有脚的人,期待着
    太
行而
取成功,太升起便得生存,太没便走向死亡。万物全都是这样,等候太
   隐没而逐消亡,仰的升起而逐。我一旦禀受大自然予我的形体,就不会化成其
    他形体而等待最
的衰亡,随外物的化而相有所行,日夜不停从不会有过间歇,而且竟不
    知道
展的终结所在,是那温和而又自然地就了在的形体。我知道命的安排不可能
    先窥测,所以我只是天随着化而推移。我身跟相交密无却不能真正了解我,能不
    悲哀
大概只是明地看到了我那些著的方面,它全都已逝去,可是求它
    肯定它
的存在,就像是在空市上匹一。我对你形象的思存很快就会忘,我的形
    象的思存也会很快成
为过去。然如此,还忧患什么呢!即使忘掉了旧有的我,而我仍会有不被
   遗忘的西存在

 この問答について新釈漢文大系の『荘子』(明治書院)の「余説」には以下のようなコメントがありました。
     孔子と顔回の問答をかりて、一刻も常なき自然の変化に順応するには、自他を忘れ時間を超越すべき
    であると説く。いわば変化するその現象に道があるのではなく、変化の現象下に真なる道が存すること
    をいう。
    

 いまの日米は”亦步亦趋”の関係と見る論評を読んで、安倍政権の対ロ交渉とか自由主義経済の堅持とかは必ずしもアメリカべったりとは言えないけれども、日本の置かれていきた現状、これからのことを考えるとアメリカと同一行動をとることもやむをえないとも思うのですが、日本とアメリカとは国力や国際的な地位などに大きな違いがあるので、アメリカと同一歩調をしていても、アメリカが”奔逸绝尘”のような行為が可能であるから、おいてきぼりになれることもあるのではないか、そのときはどうするのだろう、本当は私にはどうでもいいことなのですが、ヒマにあかせて考えたのでした。


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# by damao36 | 2017-06-25 11:34 | Comments(0)