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体感中国語151―英語の世紀の中で―中国語を学ぶということ(2)

 ところで、中国語の「中英辞典」、そのタイトルは「漢英詞典」となっているように、中国人にとっては私たちが指す中国語は「漢語」のことなのです。しかし、本当に中国語=「漢語」なのでしょうか。

 「漢語」とは漢民族の言葉という意味なので、その漢民族には7大方言説とか10大方言説とかがあるように、実際はかなりの数の方言に分かれております。しかも特に発音面ではその差は大きく、テレビのレポートなどで「普通語」を話すアナウンサーが「現地語」しかしゃべれない人にインタビューするときには、通訳を介在させるという場面もよく見かけます。また、中国のテレビドラマのセリフがたいてい字幕化されているのも、そのせいでしょう。

 
 ですから、「漢語」=私たちのいう中国語、大陸でいう「普通語」ではないということです。「日本語」といったときに、それは「日本語の共通語」のことだとふつうは理解しますが、広義には青森弁、江戸弁、大阪弁、京言葉、鹿児島弁、沖縄語(?)などをも含むのと同じで、広義の「漢語」には北京話、上海話、広東話などをも含んでいます。

 また、青森弁、江戸弁、大阪弁、京言葉、鹿児島弁、沖縄語などはすべ話し言葉であって、書き言葉、読み言葉でないように、「漢語」の北京話、上海話、広東話などもそうで、上海人も広東語圏内の人もその他の方言圏内の人も、その人たちが日常的に使う「現地語」は話し言葉であって、書き言葉、読み言葉ではありません。

 大陸では学校教育で「普通語」教育が普及し台湾でも「国語」教育が普及しているでしょうから、教育を受けた人たちは「普通語」または「国語」の発音で漢字の読み、書きをしているので、漢字の字体に簡体字と繁体字の違いはありますが、もともとは同じ漢字を用いた同一文体で書かれた新聞や書籍を読み、自分の文章も同じ文体で書いているのです。でも、そうした教育のなかった時代の書き言葉と読み言葉はいわゆる私たちのいう漢文、「古文」でしたが、そこに用いられている発音はそれぞれの時代や地域でかなり違っていたことでしょう。
    (中国語を「漢語」というかわりに「中文」といういい方があり、どうして文章の「文」という意味の漢字を用いるのかちょっと納得がいきません。
     水村氏の「普遍語」も読み言葉と書き言葉を主としているので、話し言葉としての中国語は無視されているのでしょうか。)

 
 政治的な状況から同じ中国語でも大陸では「漢語」、「中文」、「普通語」と呼ばれ、台湾では「国語」、「北京官話」と呼ばれています。また、その正式字体も大陸とシンガポールでは簡体字が、台湾、香港では繁体字が使われており、その統一は政治がらみなだけに簡単には実現しないでしょう。私たちとしては臨機応変に対応できるようにするしかありません。

 
 ところで、英語の世紀を向かえて、非英語圏である中国も日本同様、国益という観点から優れて英語ができる人材を、充分な数、育てなくてはならない状況であることは間違いありません。その対策として水村氏は「〈国語〉を英語にしてしまうこと」「国民の全員がバイリンガルになるのを目指すこと」「国民の一部がバイリンガルになるのを目指すこと」の3つがあると述べ、わが国はⅢをとるべきだと主張しています。

 このことは中国もきっと同じでしょう。シンガポールや香港ならⅡも可能でしょうが、広大で10数億の人口を抱える中国はわが国以上にⅠやⅡを実行することはとてもできない話です。

 したがって、中国を旅行し、中国でビジネスを展開し、あるいは中国で生活をするなら、やはりどうしても中国語を少しでも多く理解できるような努力をしなければなりません。

 いくら今は英語の世紀だからといって、庶民の日常世界までが英語になるはずはありません。中国に行ったら英語がまったく通じなかったという人がいましたが、英語の世紀になって英語が通じるのはやはり社会のエリート層での話であって、高校進学9割を超えたわが国でさえも庶民の日常世界では英語の会話がなかなか通じないのですから、まだまだ教育が遅れている中国社会で、改革開放政策がはじまって間もない中国で、英語が通じないのは当然でしょう。
by damao36 | 2009-08-10 09:41 | 中国語 | Comments(0)
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